たしか「小説の神様」って呼ばれていたはずだよなと思って検索をかけ
てみましたら、この時代に「小説の神様」といえば、相沢さんという作家さん
の作品となるようで、当方の常識は通用しませんでした。
そういうことで、言葉追加して検索をしてみましたら、やっとこさでヒット
することにです。昭和時代にはググるなんてことはできなかったのでありま
すが、その時代でありましたら、小説の神様といえば志賀直哉と返ったこ
とでありましょう。
本日に検索した「小説の神様 志賀直哉」は2021年に没後50年とあり
ました。もうな亡くなって半世紀以上になるのですから、読まれなくなって
いても不思議でもないことで。
特に、1970年代以降は私小説作家への逆風が強くなりましたので、その
せいもあって「神様」も顧みられなくなったのでありましょう。
山田稔さんの「もういいか」のなかで言及されている網野菊さん、広津桃
子さんのお二人のものを読んでみますと、志賀直哉が「小説の神様」と呼ば
れていたことを実感することであります。
本日に読んでいた広津桃子さんの「石蕗の花」に収録作品に、「志賀直
哉先生と網野さん」という文章がありまして、そこには、次のようにありです。
「網野さんが、志賀直哉氏に抱き続けてきた深い尊敬については、すでに
多く人の知るところであるが、網野さんにとって、志賀先生は師と呼ぶ以上の
存在、心の支えであり、よりどころであった。」
広津さんが書くところによりますと、網野さんが最初に志賀家を訪れたの
は大正12年、網野さんは23歳の時とあります。大正のころの人間関係とな
りますね。
大正12年といえば、西村賢太さんが師と仰ぐ、藤澤清蔵が「根津権現裏」
を刊行した年にあたります。西村賢太さんが藤澤清蔵のことを没後弟子と
称して追慕しているのを読みますと、これは志賀直哉とその弟子たちの
関係と良く似ていることであります。
これからも師と仰がれる小説家はでることでしょうが、小説の神様なんて
呼ばれる人はでないでしょうね。なによりも小説が多様化していますからね。


