小樽にゆかりの 9

 瀧口修造さんの自筆年譜を見ているうちに、これはどうしたことかと思ったことがあ
り、それで他に参考となるものを見ています。
 手近にあったものでは、飯島耕一さんの著作にヒントがありました。今回、参考にした
のは、「飯島耕一・詩と散文」であります。

飯島耕一・詩と散文2

飯島耕一・詩と散文2

 飯島耕一さんの「詩と散文 2」のあとがきには、次のようにあります。
「 日本の代表的シュルレアリストとされる、瀧口修造をめぐるエッセイを集めた。他に
も瀧口論はあるが、主なものはここにすべて収めた。なおこの著作集の5に『冬の幻』を
収めてある。この短編小説連作の主人公はTとしてあるが、すべて瀧口修造を念頭におい
て書いたものである。この巻の瀧口修造へのオマージュと、『冬の幻』のTを複眼で捉え
たところに『わたしの瀧口修造』はいる、ということを言い添えておきたい。」
 瀧口修造へのオマージュでありますから、飯島耕一さんは、先行者としての瀧口修造
んを尊敬しているわけです。
「わたしの最初の瀧口論は、伊達得夫晩年の『ユリイカ』に発表されたのち、安部公房
夫人の真知さん装幀による『シュルレアリスム詩論』に収められ、二年後の『日本の
シュールレアリスム』に再録され、さらに「シュルレアリスムの彼方へ』へも加えられ
た。それほどわたしにとっては記念すべき論だったのである。」
 この最初の瀧口論から、飯島さんは瀧口と小林秀雄を対比しています。
 以下に引用するのは、対比の仕方がよりわかりやすい「ランボーとその後に来たもの」
からであります。
小林秀雄が文学に見切りをつけアフリカへ行ったランボーの後姿を見つめている時、
瀧口修造は、韻文詩や『イリュミナシオン』の詩の言葉の光と、永遠運動のほうを見つめ
ている。それも、瀧口修造シュルレアリスムを信じているからだ。小林はランボー
ランボーで終わりだとし、ランボーの見た夢からさっと引き返して、社会と実生活のほう
へ下りていく。となると人生論であり、処世術だ。対人界、道徳圏の話である。瀧口修造
が、人生論ではなく、ランボーのうちに未知の光を見た人を見、特異な物質狂を見ている
のに反して、小林秀雄は結局、幻視の人ではなくレアリストの人としてとどまる。
瀧口修造は、そこでなおも、他界の風の実在を捨てることはない。・・・東洋の国に一人
シュルレアリストが最後までシュルレアリストとして踏みとどまり残ったのだ。
シュルレアリスト瀧口修造は、戦中に杉並署に捕えられ、スリや泥棒とともに拘置所
一隅にしゃがんだ時、一体何を考えただろう。」
 「最後までシュルレアリストとして踏みとどまり残った」のであります。このことは、
賞賛に値するのであります。