小沢信男著作 122

東京には縁がなく終わるだろうと思っていた当方でありますが、1986(昭和61)年
4月に東京勤務となって、四谷からほど近い事務所に一時間ほどかけて通勤すること
になりました。四谷の大木戸はぴんときませんが、四谷三丁目とききますと、
サンミュージック岡田有希子と連想されます。ちょうど岡田さんが身を投じて
まもなくでありましたし、いまだにホットな場所でありました。
 小沢さんの「大木戸のかげろう」からです。
「見渡すほどにこの辻も、少女身投げの場としては誂え向きすぎて、わるい冗談の
ような気がしてきます。自殺の仔細な理由は知りません。が、要するに彼女には、
青春という人生の大木戸において、情報産業界の売れっ子の商品価値を、<クリナップ
流し台>の屋上からさらりと流した。・・・
 花束と線香は、生き難い青春へたむける現代の若者自身の慰藉なのでしょう。
<すてきな青春>なんて、いつの世も画餅にすぎまいに、その幻想の身代りでアイドル
タレントがあるならば、なおさら彼女は、万事商品化の社会の虚妄性のシンボルでも
あるわけで、いうならば人身御供の美学。そこで少年少女らの後追い身投げの流行とも
なるか。
 屋上でそのとき彼女(ら)は、どんな景色をみたものやら、目の前には新品都市の
四十メートルの大通りがひらけていたはずだけれども、それがそのまま時代閉塞または
人間窒息の、壁にみえたのではありますまいか。
  陽炎を砕いて少女降りにけり  」
 最近も若手のタレントさんが自死して、その後に自殺する若い人が増えたと報道され
ました。この場合は、後追いではないと思われますが、将来に希望がもてなかったので
ありましょう。
 このような書き出しの書評がありました。
「江戸開闢いらい、東京はどれほど多くの死があったのか。82歳の老文学者が、その骨
灰の埋葬地や慰霊碑を歩きまわって回顧する。洒脱な紀行文だが、一つ一つの死が持つ
意味をつい考えさせられる。」
 これはもちろん、小沢信男さんの「東京骨灰紀行」についてのもので、朝日新聞2009
年10月18日書評欄にあるものの冒頭です。評者は松本仁一さんとあります。