小沢信男著作 124

 小沢信男さんの「東京百景」にある「随筆 季節のある街」という章は、86年から
87年にかけての東京の「街壊し」と「人の暮らし」についての声高ではない
ドキュメントであります。
「季節のある街」と記していましたら、「季節のない街」という有名な小説があった
ことを思いだしました。黒沢明監督によって制作された映画「どですかでん」の原作
となったものですが、作者はもちろん「山本周五郎」さんであります。
( とはいうものの、当方は読んでおりませんですが。)
「季節のある街」の最後におかれたのは、「蒲田駅東口の砂埃」という文章です。
 書き出しからの調子は、次のようになります。
国電あいやJR東日本京浜線の蒲田駅ホームの南側に立ってみます。 
 西側はビルまたはビルの壁。南に環八通りの鉄橋が線路をまたぎ。東にも駅ビル・
パリオがあるが、そのならびは幸い線路沿いに横長の空地で、おかげで空が望めて息が
つけます。ここはもと貨物のつみおろし場で、線路もホームもあった由ですが、いまは
平らな更地です。・・・
 蒲田はもともと西口のほうが盛り場で、背後の住宅地は池上・久が原などの高台の一等
地へとつらなります。つまり高級のイメージがある代わりに、地価も物価もみんな高くて
ザマミロといったようなものなのでした。
 ひきかえこの東口の海側は、あけすけに言えばもともと場末の労働者街。平坦で気が
おけなくて暮らしやすいのが取柄なのでした。
 さて。この東口から右へ。さきの線路ばたの空地へ入ってみます。 
 なにをかくそうこの空地こそ、さきごろ国鉄が競売に付して、六百五十六億五千六百一
万円也で売れた土地です。買ったのは桃源社という新興の不動産屋の由。」
 蒲田の土地を相場よりもはるかに高い価格で買い付けた桃源社と、その社長さんは時代
の寵児でありました。これをどのようにして展開するのかと、多くの人が注目していた
のですが、それがうまくいったという話は聞いておりません。(現地をみているわけでも
ないので、わかっていないというのが正しいかもしれませんが。)
 小沢さんの「蒲田駅東口の砂埃」の結語は、つぎの通りです。
「どのみち狂乱物価に襲われた町は、そのぶん確実に住みにくくなる。国鉄分割の元凶
の中曽根民活こそは、末代までのカタキでしょう。
 ところで、この空地にまう砂埃は、一粒いくらにあたるのかな。
  春塵や狂うて馬の舞うごとく 」

 七月に蒲田駅の話題というと、七夕に亡くなった保倉幸恵さんのことがあります。
 彼女が亡くなったのは、小沢さんがこのように書いたほぼ10年前のことでした。
東京の街壊しを見なくて住んだのは、彼女にとっては幸せなことであったでしょうか。
四谷大木戸の岡田有希子さんと、保倉さんにも10年の時をこえて、重なるものがある
ことです。
 特に小沢さんが書く、次のくだりが。
「要するに彼女には、青春という人生の大木戸において、情報産業界の売れっ子の商品
価値を、さらりと流した。
<すてきな青春>なんて、いつの世も画餅にすぎまいに、その幻想の身代りでアイドル
タレントがあるならば、なおさら彼女は、万事商品化の社会の虚妄性のシンボルでも
あるわけで、いうならば人身御供の美学。」