小沢信男著作 123

 第3章は「随筆 季節のある街」が連載されたのは、1986年から87年にかけてです。
 ちょうど当方が東京に暮らした時期でありますが、時代はバブル景気となりました。
あの頃のことを、しみじみといい時代と思っている人がいるのでありましょう。
一方では、次のような事件もあったとのことです。小沢さんの「季節のある街」の
「西戸山公園のゴミ」からの引用です。
「山手線の内回り電車が、高田馬場駅をでてすぐ右手(西側)に、木立のこんもりした
小公園がみえます。これは三号地で、この奥の区営グランドのさきに二号地、一号地と
あり、あわせて新宿区立西戸山公園です。
 この三号地は線路傍のせいか、ふだんからあまり人影がない。その代り、夜間ここを
ねぐらにする諸君がいるのですな。夏にはテントをはり、冬には焚き火をかこみ。
 去る七月、この公園に野宿の諸君を、若者らが再三襲って傷害をおわせる事件があり、
その連中がこのほど逮捕されました。」
 野宿の人たちが、急速に増加したのがこの時代でしょうか。今はホームレスと呼ぶので
ありましょうが、この時代の東京でまとまって野宿の方がいた公園は、まだそんなに多く
はなっていなかったと思われます。
 小沢さんの文には、この事件を報じる「東京新聞朝刊見出し」が引用されていますが、
それには「労務者襲撃へ”ゲリラ戦”『市民に代わり一掃』 元暴走族ら11人捕らえる」
とありました。
 いまはホームレスとひとくくりになりますが、この時は労務者というほうがわかりが
よかったのでしょう。これは西戸山という土地のせいもあります。
「そもそもこの公園の北隣には、職安の高田馬場労働出張所があります。隣駅の新大久保
界隈にはベッド・ハウスも何軒かあるけれども、オケラの身が朝一番の仕事にありつくに
は、絶好の地の利でしょう。
 しかもこの公園の南隣には、かの中曽根民活第一号の、国有地払下げの『西戸山タワー
ホームズ』建設地です。広大な地所の基礎工事が完了し、二十五階建てのタワー・ビルが
三本これからたちあがるところです。それのみかこの界隈は、完成まぢかい社会保険中央
総合病院なで、近年ビルラッシュだ。いうなら日雇いの需要はたっぷりある。この公園に
寝泊りするのは職住接近そのものでしょう。
 しかるにこれをばゴミ扱いする。区長、署長の名において、付近住民の要望において。」
 そういえば、東京のバブルの引き金となったのは、海外の企業が東京に進出することが
予測されるので、それの受け皿としてオフィスビル(それと高級マンション)を新築する
というものでありました。地上げと不動産の転売がゲームのように全国で展開されて、
それは結果として、なにをもたらしたかです。
「この十月、タワーホームズのモデルルームができ、宣伝が開始され、そこで一戸六千万
円也の買物客が、この公園のあたりの道をひきもきらず往来しています。それでこその
ゴミ取締り強化月間なのでしょう。
 そしてこの再開発ビルが完成のあかつきには、こんどは付近の民家の住民各位が、ゴミ
扱いで追い立てられる番でありましょう。
 狡兎死して走狗烹(に)らるる夜長かな   」
 付近住民は地上げという名目でそれなりの金を手にして動いた人もいるでしょうが、老
朽アパートに住んでいた人たちは、わずかな補償で移転せざるを得なかったのかもしれま
せん。今となっては、あの転居はなんであったのかと思うこともあるでしょう。