小沢信男著作 121

 河出書房版「東京百景」の小説は、ほかにもあるのですが(それにしても初出に
ついての記載がないのは残念)、すこし先を急ぎましょう。
 第3章は「随筆 季節のある街」と題されています。小沢さんのあとがきには、
次のようにあります。
「 3の章の大木戸から蒲田までの八編は、スト権回復を支持する会発行の月刊
パンフ『生きる権利』に連載しました。1986年から87年にかけて。」
「スト権回復を支持する会」というのがあったのですね。これで検索をかけてみま
したら、70年代半ばからのスト権回復についてのウィキペディア記載がありました。
公務員に対してストライキの権利を認めるかどうかで、「スト権スト」なる運動も
ありました。これの中心にあったのは旧国鉄で、この時代を境として、国鉄は解体
へと向かうことになります。
 86年から87年にかけてといいますと、まさに国鉄の分割民営化が進行中でした。
こうした雑誌に寄稿するにいたったのは、新日本文学会でであった労働者たちと
のつながりによるものでしょう。
 小沢さんの文章は、こうした雑誌だからといって、いつものスタイルとかわること
がなく、どう見ても「スト権回復」運動の力になりそうには思えません。
 この章最初は「大木戸のかげろう」となりますが、さて「大木戸」とはなんでしょう。
 これまたウィキペディアから引用です。
「大木戸(おおきど)は、江戸時代に、街道上の江戸内外の境界に設置された簡易な
関所である。人間や物品の出入りを管理するのが目的であった。木戸とは江戸市中の
町境などにあった防衛・防犯用の木製の扉で、その大規模なものとして大木戸と呼ぶ。
 四谷大木戸(よつやおおきど)は、江戸時代の四谷に設けられていた、甲州街道
通って江戸に出入りする通行人や荷物を取り締まるための関所である。
現在の東京都新宿区四谷4丁目交差点にあたり、新宿区立四谷区民センターの脇には
四谷大木戸門跡の碑が立っている。」
 一時期は、四谷四丁目の交差点というのは、一時期、次のような風景が見受けられ
たとのことです。小沢さんの文章からです。
「この辻の、右むこう角、黒っぽいビルの前に、ちらほら佇む若者たち。日除けの下
にひとり身を寄せる男のコ。歩道のはしのガードレールに四、五人群れる女のコ。
しめて十余人。これぞ岡田有希子投身自殺の現場なのです。
 彼女がビルの屋上から身を投げたのが、1986年(昭和61)四月八日の真昼。いまは
五月二十五日昼さがりで、四十九日の法事には一日はやいが、このように哀悼の人影
はたえぬわけです。場違いの白髪頭で恐縮ながら、そこで私もしばし佇んでみました。」