本日も「もういいか」から

 本日も山田稔さんの「もういいか」を手にしております。

 編集工房ノアから刊行の「もういいか」のページを開いていましたら、そこに

登場する人やら本のことが気になりまして、山田稔さんの「自選集」やら初期の

小説集、それに話題となっている福田紀一さん、長岡弘芳さんについての本を

取り出してくることにです。

 福田紀一さんについては、当方もこの場で何度か話題にしているのですが、

それは主に山田稔さんの文章を目にしたからでありました。

vzf12576.hatenablog.comvzf12576.hatenablog.comvzf12576.hatenablog.com 今回の「もういいか」でさらっと登場する福田紀一さんは、前著「こないだ」

では、「あと一円の友情」ということで、もうすこし大きく取り上げられています。

 この文章は、福田紀一さんが亡くなったあと2015年12月「VIKING」に寄稿

された追悼文です。

 2013年11月9日の茨木市富士正晴記念館での小沢信男さんの講演会で

久しぶりに福田紀一さんとあったにもかかわらず、ゆっくりと話をする機会を

失った、そしてそれっきりで分かれてしまったということで、悔いを残し、思い出

を綴るのでありました。

「何十年もの間、毎月のように京都に足を運びながら、ついに福田は京都に、

京都に暮らす人々に馴染むことができなかったのだろうか。彼には大阪に何人

もの友人がいた。たとえばむかし高橋和巳小松左京がはじめ、福田も遅れて

参加した『対話の会』の仲間たちの間では、福田ももっと寛いでいられたようで

ある。」

 京都の文化人のなかに福田さんの居場所はなかったということでしょうか。

「1990年に福武書店から長編『神武軍、大阪へ上陸す』を出したのを最後に、

福田紀一の創作活動は停止する。その後、1994年9月から『VIKING』に

タムタム人の手紙』の連載を断続的にはじめるが長い中断の後、未完のまま

終わってしまう。SFの世界ではすでに小松左京筒井康隆らが活躍し、福田は

お株を奪われたように見えた。もっとも福田の小説にはSすなわち『科学』が

欠如しているから、SFではなく奇想小説とよぶべきだ、いやナンセンス小説だ

という者もいる。だがその『奇想』も『ナンセンス』も概して年齢とともに衰える

ものである。」

 この頃に、山田さんは福田さんの過去の小説をあげて、あのような私小説

ようなものをもうすこし書いてみてはと再三すすめたのだそうですが、ついに

耳をかさなかったとのことです。

「いずれにせよ、彼は転向よりも沈黙を選んだ。その沈黙をいまとなってはみごと

だと思いたくなる。」 

 先日に物置をあさっていましたら、1989年5月号「海燕」がでてきました。

表紙に福田紀一「神武空想帝国」454枚一挙掲載とありで、これを目当てに

購入したものであります。これが刊行された最後の小説となりますね。

海燕 福田紀一 神武空想帝国 1989年5月号