図書館から借りている本は二度目の返却日を迎えるものがほとんどで
ありますが、これがさっぱり読むことができていないことであり。
このところ山田稔さんの新刊とかSUREの斎藤真理子さんの新刊などが
届いていて、そちらを先に読んでいたからですね。今月の二冊は、年間を
通じての収穫となるだろうと思われるものですから、これは相手が悪い
ことで。
さて、それで借り続けてもなかなか読むことのできていない本をどのよう
にするかなと思案中であります。とにかくぱらぱらとページに風をいれて、
それで読んだことにはならぬかな。そう思いながら、今回で返してしまう本と
また借りることにする本の仕分けをすることにです。
本日に仕分けのために読んでいたのは、島田潤一郎さんの「長い読書」
となりです。
島田潤一郎さんは、ほとんど当方の息子と同じ年格好。大学をでてから、
しばらくして一人出版社を起こした方ですが、自分の息子がそのような道に
進もうとしたら、当方はどのように接しただろうなと思いつつ、読むことに
なることです。なかなか、息子世代の本を読むのは、身につまされることです。
この本の最後におかれた「長い読書」というのは、島田さんの義父とのこと
が書かれたものとなりますが、当方よりもちょっと年長であるようで、すこし
距離を感じることにです。
本日に読んでいた、山田稔さん、徳永進さんの文章とシンクロしたのは、
次のところでありました。
「著述家でもあるこの医師との最初の出会いは、長男が生まれる直前だった。
喜多見の古書店で偶然『定本 育児の百科』にであった。現在入手できる
岩波文庫版ではなく、石亀泰郎の写真がたくさん入った大判のものだ。
子どもが誕生してからは、彼らが病気になったり、子育てで困ったことが
あったりすると、この本を手にとった。その後も必要に応じていくつかの育児書
を買い求めることになったが、いまなお書棚に残っているのは『定本 育児の
百科』だけだ。なぜだろう。」
文庫ではない定本版は、当方も手元においてありますね。
本日にたまたま手にした徳永進さんの本にも、この本のことが話題となって
いました。
「この地上に登場してからの一日一日の成長過程についてのさまざまなことを、
分担執筆ではなく一人の医者が書き記した名著である。若き母たちを励まし、
支える。行間に人柄や思想がにじむのは、一人で全てを書き上げているからだ。
赤ん坊がそだち、そこで麻疹や突発性発疹にかかり、それを乗り越え成長
していく。松田さんは個性を大切にし、型にはまった人間観子供観を排除する。」
徳永さんは、このように書くのですが、後半では松田さんの晩年の著作に
言及することになりです。そこでは松田さんの根本的ニヒリズムを話題にして
います。
「長い読書」という文章は義父が亡くなっていく過程を描いていくのであり
ますが、最後は誰しも避けられずでありまして、山田稔さんの「もういいか」も
老いとどのように死を迎えるかという本であるようです。