宮本さんのおかげで

 このところずっと宮本浩次さんに元気をもらっています。元々は家人がはま

りまして、まさに婦唱夫随でありまして、これは家庭円満にもつながることで

あります。

 この元気づけは、それに終わらずで拙ブログにも元気を与えてくれているよ

うです。宮本さんのライブのことを報告しましたら、ふだんほとんど縁のない

人たちが覗きに来てくれるようで(これはTwitterに連携してるせいでしょう)、

最近はひどくアクセス数が少なかったのが、少し賑やかになっています。

 これは当方が話題にした若い女性たちのグループ「BiSH」さんの時にはなかっ

たことで、やはりファン層が大きく違うのであるなと思うことです。

 いつまでも宮本さん頼りというわけにもいきませんので、またいつもの地味

な本を話題にすることにです。

 先日のライブへと向かう電車の中では持参のヤマケイ文庫「山びとの記」を

開いていました。

 著者は昭和12(1937)年生まれでありますので、ひと回り以上年長です。

子どもの頃から家業である炭焼きの関係で人里離れた山の中で暮らし、その後

長じて山仕事に従事されていました。傍ら文学活動も行っていて富士正晴さん

率いるVIKINGにも参加していました。

 ちょっと変わった経歴でありますが、最初の著書となる「山びとの記」は

1980年5月に中公新書の一冊として世に出たものだそうです。

この時の担当編集者である宮一穂さんの文章が転載されて「解説に代えて」と

なって巻末に収録されています。

 それには、次のようにありです。

「宇江さんと初めて会ったのが1979(昭和54)年。古い手帳を操ると、日付

は6月12日、場所は大阪。その二年前に作った中公新書『おやじの国史

むすこの日本史』の著者、『VIKING』の同人、福田紀一さんの同席、紹介のも

とだった。自分の半生を書いてもらえないか、それは同時に戦後の林業史に

なるはずだ、という若僧の依頼だった。『やってみます』。その時宇江さん

四十一歳、こちらは九歳下。」

 この本を版元に引継いだのは福田紀一さんでありましたか。

福田紀一さんといえば、最近では山田稔さんの文章に登場するくらいでありまし

て、最近の「ぽかん09」にも重要な役割で登場します。 

 当方は1973から1976年頃にかけて河出書房から刊行された福田紀一さんの小

説を楽しんでいたせいもありまして、ほとんど名前を目にすることもなくなった

福田紀一さんの名前を目にしますと、ついつい反応してしまいます。

vzf12576.hatenablog.com