訃報続く

 昨日はまるで意識をしておりませんでしたが、井上ひさしさんの祥月命日であ

りました。そのせいなのかな、古い「父と暮らせば」を録画したビデオテープを

デジタル変換しながら、この舞台を見ることになったのは。すまけいさんは、

井上ひさしさんがやってらした「こまつ座」のただ一人の俳優であった時期があ

りましたです。一時期舞台を離れていた幻の役者であったすまけいさんが復活し

たのは、井上ひさしさんのおかげでありましたものね。

 毎日がどなたかの祥月命日でありまして、また日々新たにそこに加わって、あ

ちら側の世界はにぎやかになるのでありました。

ここひと月ほどでも、大江健三郎さん、坂本龍一さん、畑正憲さんなどが亡く

なったとありまして、それに本日は富岡多恵子さんがあちらへと移っていきま

した。

 富岡さんの死因は老衰とありまして、あまり年齢を意識したことがなかったこ

ともあって、老という文字に違和感を感じました。当方が最初に富岡さんを意識

したのは学生の頃で、たぶん同級生の女子が、これ読んでみいといって思潮社

現代詩文庫をくれたのですね。

 せっかくでありましたが、その詩集にはなじむことができず、ずっと富岡さん

は気になる存在でありました。なんといっても大阪の才女でありますからね。

大学を終えてからの職をなげうって、東京にでて、売れない版画家と詩人という

カップルでの暮らしは、その後に伝説となるのですが、当方は富岡さんというと、

この時代のことを書いた小説が一番好きであります。 (どうやら、今は新刊で

は入手できないようでありますが。)

 富岡さんには気になる本がたくさんあるのですが、買ってもさっぱりうまく

読むことができていなくて、「中勘助の恋」は読んだはずだけどもな。

 本日は富岡さんの詩の先生が書いた文章を読んでみることにです。

「彼女がまず私に白羽の矢を立てたのは、大学にはいったころに、私の『現代詩

手帖(創元社版)という本を読んだためらしいが、しかし私たちが出会ったころ

は、もうこういう入門書みたいな本に書かれているようなことからは卒業してし

まっていて、興味はもっと隠密な次元で私に死を書かせるものはなにかというと

ころに来ていたのではないかと思う。それを自らにも問い、直接対面しても私に

問うそんな姿勢が、もうそのころの富岡多恵子にはあった。」

 富岡さん大阪女子大学の学生であったときに、道路をはさんで向かいにある

大学に出講していた詩人を訪ねるのですが、この詩人 小野十三郎さんがエッセ

イで上のように書いていました。

 編集工房ノアさんからでた「日は過ぎ去らず」にあります。もう四十年も前に

でた本でありますが、たしか今も新刊で入手可能な、気の毒な一冊であります。