つぶやいてみるものですね。先日にこの場で、なんとか読んでみたいものと話
題にしました「VIKING」860号に掲載されている中尾務さんの「小沢信男と
リトルマガジン」でありますが、関係部分のコピーをいただくことができました。
たいへんありがとうございます。
ほんとおかげさまでありまして、小沢信男さんに関する論考などは、ほとんど
眼にすることができていないのですが、富士正晴、「VIKING」、大阪文学学校、
川崎彰彦というようなつながりのなかで小沢さんを話題にしていただけで、古く
からのファンである当方は、うれしく思うことです。
小沢信男さんは、一番最初は詩人丸山薫さんの主宰する同人誌「青い花」で詩
作を始めるのですが、その後「江古田文学」から「新日本文学」と活動の場を移し
ていき、それとあわせて富士正晴さんに見込まれて「VIKING」の東京ブランチの
リーダー役を務めることになります。今回の中尾さんの論考は、小沢さんの「青い
花」から「VIKING」時代に焦点をあて、どうして小沢さんは「VIKING」を脱退す
ることになったのかを、富士正晴さん宛の書簡から解明していくことになりです。
富士正晴さんのところに残された小沢さんと、小沢さんに関わる人からの手紙
を読みといていくというのは、まさに富士正晴流の手法でありまして、富士正晴
記念館に勤務していた中尾さんならではのことです。
特に同人誌「青い花」で一緒であった方については、ほとんど知らないことで
ありまして、このところを拝見して、当方がこれまでの理解は違っていたのだなと
思ったりです。
先日に小沢さんの詩「T市T町午後三時」の全文を引用して、これに登場の女性は
小沢さんの元夫人と記しているのですが、中尾さんの見解は「青い花」の仲間の
女性であるということで、なるほどなであります。
そういえば、小沢さんは若い頃は男前で、いかにもモテそうな感じであったので
すよね。
中尾さんの文章は、
1 川崎彰彦との<間一髪のすれちがい>
2 富士正晴との交流
という二部構成となります。
「青い花」は一部に関わり、「VIKING」はもちろん二部にかかわるのですが、
小沢さんを「VIKING」に結びつけた田井立雄さんについての、次のくだりが眼鱗
でありました。
「このストイックな文学姿勢は、『江古田文学』時代、『同じような小説を二度と
書くな』と断言、それを実行した先輩・田井立雄の影響によるもの。」とありまし
て、これは大いに参考になったことです。
1974年1月の朝日新聞読書欄に「若きマチュの悩み」が取り上げられているので
すが、評者は次のように書き出しています。
「小沢信男は寡作の小説家である。しかし生み出される数少ない作品を一度読むと、
忘れがたい味をおぼえさせられてしまう。」
この評者は、鶴見俊輔さんと聞いております。この時代にすでに小沢信男は寡作の
作家で、それは先輩・田井立雄さんの影響でありましたか。