帰宅してから確認することに

 今回の旅先で購入したのは新刊二冊でありました。新刊書店は二軒に入りまし

たがどちらもジュンクでありまして、うち一回は子どもたちが本を選んで、そn

支払いをするための同行でした。

 いまどきの子どもはどんな本を欲しがるのかなと思ったら、見事に初めて知る

版元のものでありました。じいさんがおすすめの古典の児童書は見向きもされ

ませんでした。当然であるかかな。

 今回の旅では、購入した富士正晴さんの「不参加ぐらし」を読んでいたのです

が、そこに次のくだりがありまして、これは帰宅したら確認してみなくてはと

思いました。

 「花田の京都は霧の中」にあったものです。富士さんが花田清輝さんが亡くなっ

てから、経歴のことで花田夫人に電話をして確認をするのですが、それに対して

花田夫人が次のように語っています。

「あなたは家族のものとあったことがないと書いてられたけれど、小沢さんと

一緒にこられた時、わたしもそこにいたんですよ、だからわたしはあなたのこ

とを知っています。」

 花田夫人がいうところの「小沢さん」というのは、もちろん小沢信男さんのこ

とでありまして、確認してみるのは、富士正晴記念館からでています「資料整理

報告書19集 東京漫遊記」であります。

 富士さんが昭和29年に東京に出かけて文士たちの訪問記を「東都文士訪問日記」

として「新潮」に発表していますが、それを中心に「資料集」は編集されていま

す。

 この資料集を見ますと、花田清輝さんのところにいった折の記録があるのです

が、富士さんの文章の中には小沢さんと一緒にいったとはないのでありました。

(他のところには小沢信男に道案内を頼んだとあるのですが。)

 はてさて、どういうことかなと思って、資料集の巻末にある小沢さんの解説を

見ましたら、次のように書かれているのでした。

「余計事ながら、じつはこの前に、花田家訪問があることはありました。

「漫遊記』に照らすと『事もなく』の第三日のあたりか、富士氏より電話あり『い

ま野間の家にいる。ちょいとでてこないか。花田の家へ案内してくれや』と。

びっくり仰天。『すぐ行きます、でもダメですよ、花田さんのお家なんか知りま

せんもの』

 富士氏は意外そうでした。のこのこ関西へまで昼飯くいにくる奴が、花田の子分

らしいのに家も知らないとは。でも事実だから仕方なし。このとき野間宏宅へも

はじめて伺った。野間夫人で富士氏妹の光子さんの案内で、千川通りへ坂をくだり

白山の丘へ坂をのぼって、花田家を初訪問。花田夫人もまじえた暫しの歓談に、

陪席の栄をえたのでした。この数日後に、安部公房家と花田家を、あらためて単独

訪問されたのでしょう。」

 「花田の京都は霧の中」を読んでみて、花田夫人の言葉を確認してみましょうと

思ったのですが、この「資料集」にある小沢さんの解説を見てみましたら、きれい

に説明されていたのでした。たぶん小沢さんの頭のなかには富士さんの「霧の中」

ことがあって、このような余計事となったのでしょう。

 このあと「資料集」には、さらに中尾務さんによる解題がつきまして、いたせり

つくせりとなっています。ありがたいことであります。