早くも「海鳴り」

 今年も編集工房ノアさんから「海鳴り」を送っていただきました。いつもありが

とうございます。その昔は、不定期の趣でありましたが、ここ数年は4月から5月に

手元に届けていただいておりました。今回の32号は3月中旬の刊行となりますの

で、これはこれでめでたいのですが、まさか本業が手すきになっているので、これ

が早くにでたなんてことでないことを祈っています。

 まあ、せっせとノアの本を買うようにしなくてはいけないことで、表紙裏にありま

すノアの新刊リストをながめることになりです。

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 今回の「海鳴り」を拝見して感じるのは、なんとも亡くなった人を追悼(または回

想)する文章の多いことであります。ノアのお仲間たちで、あちら側に移り住んだ方

が多いからでありましょうが、ノアも長いこと続けていると、そういうことになりますね。

 本日は、これに収録されている文章から中尾務さんの「おせわになりました」を

読むことになりです。

中尾さんは、2010年4月から茨木市富士正晴記念館にお勤めで、記念館のただ

一人の職員として企画展示、資料報告書、特別講演会を担当しておられました。

2019年に退職とあります。

 当方は一度は富士正晴記念館に足を運びたいものと思っていたのですが、 

ちょうど中尾さんが勤務されている期間にあった企画展と講演会に参加するこ

とができました。

 中尾さんの文章ではそのときのことを、次のように書いています。

「ほとんどが近畿エリア在住の講演者になっているのは、講演料が少ないからだ。

交通費だけで講演料の半分が飛んでしまう東京からはとても呼べない 前任の

二人は、そう考えたにちがいない。

 しかし考えてみれば、どこから来られても少額。仮に茨木市内から歩いて講演

に来られても心苦しい額ではある。こちらは、半ば以上居直って交通費のことは

気にせずに講演依頼することに決めた。」

 ということで、東京にいる小沢信男さんに講演依頼があって、小沢さんはそれ

に応えて茨木へと遠征したのでありました。

vzf12576.hatenablog.com 中尾さんが担当していたときに講演をお願いしたのは、久坂部羊

坪内祐三岡崎武志小沢信男山田稔林哲夫木津川計上村洋行

中井道子のあわせて九名とのことです。

 当方が参加できたのは小沢さんの回だけでありましたが、なかなかすご

い顔ぶれでありまして、中尾さんの力量でありますね。これを茨木市はどの

ように評価したのかしないのかわかりませんが、この仕事は、どのように

引き継がれていくのでしょう。

 ノアさんから中尾さんの著作がでることはないのかな。