緊急という日常

 本日からなのかな緊急事態というのが宣言されて行動に制限が加わるように

なったようです。北海道は広いので、札幌周辺とその他のところでは取り扱いは

違うようでありますが、このまちはその他地域ではありますが、この宣言にあわ

せて土曜日から公共施設は休館となるとのことです。

 一斉にすべての施設を休みにしなくても良さそうでありますが、まあ不要不急と

いうことで、これに従うしかないのでありましょうね。どう考えても、この状況

が年内に大きく改善するとは思えないことでありまして、年があけたら足掛け

三年にわたってのこととなりです。

 フクシマ原発の周辺にお住まいであった人は、もっと長期にわたってのがまんが

続いているのでしょうから、まだ二年や三年でがたがたいわないことにしますか。

それにしてもTVでみるタリバン指導者は、どなたもマスクはつけておらず、彼の地

にはコロナはないのであろうかと思うことであります。(マスクが行き渡ってない

という可能性もあるか)

 相変わらずで回らない頭で「林達夫 編集の精神」を手にとっています。

まだこれの初めのところでうろうろとしているのですが、そこのところで清水幾太

郎さんがでてきています。清水幾太郎さんといえば、当方が知るようになった頃に

は、すでに「右傾化」していて、ほとんど相手にしなくともよろしいという風な

立ち位置にいたのですが、清水さんの抱えていたもののことを著者の落合さんが

言及していて、これを目にして改めて清水幾太郎さんのことを思うことでありま

す。

「ここで確認しておきたいのは、清水幾太郎が、関東大震災以後の廃墟に忽然と

現れた日常への違和感を長らく抱え込んだ人物であり、生涯にわたってそれを

問題視し続けた点で、ただし、その反応の仕方は対照的である。かたや闕語を

選び取り、もう一方は過剰なほどに饒舌である。逆をいえば、清水の能弁は、

震災に纏わる林の沈黙のある領域を補ってもいる。」

 当方などは、清水さんが現役で右傾化して饒舌に発言を行っていた時代のこ

とを知っているものですから、いけすかないやつという思いしかなく、とても

このような冷静に論じることは出来ないことであります。

 育ちの良さとか、後援者に恵まれるとか林達夫さんはやはり特別な存在で

ありまして、それと比べると上昇志向の強そうな清水さんは、下品と思われて

もしょうがないけども、その分普通の庶民に近い感覚を持っていたということ

かもしれません。