すこししゃんとしなくては

 なかなか忙しい11月でありますが、まずまず順調に予定をこなしております。

思い通りにいかないのは本を読むことでありまして、これに関してはもっと

もっと頑張りましょうです。

 やっとこさで落合勝人さんの「林達夫 編集の精神」を読んでいます。毎日

少しずつでありまして、この調子では今月に読み終えることができるのかな。

この本を読んでいましたら、林達夫さんの文章は、このように読解することが

できるのかと思うことです。

 ちょうど真ん中くらいまできているのですが、ここら辺で、林達夫さんが

戦後に発表した「反語的精神」という有名なものを取り上げていて、それに

ついて気合いの入った読みが展開されています。

 この「反語的精神」は、木下杢太郎についての文章の依頼を受けたが、とう

とう書くことができなかったという話になります。それにしてもなぜ木下杢太

郎であるのかが、わからないのですね。

 それについての、落合探偵の推理です。

「それにしても、なぜ林達夫は『木下杢太郎』の依頼を引き受けたのだろうか。

著作集を渉猟しても、少なくとも表面上、両者の思想的、文学的連関性は希薄

である。とはいえ、「五年間にわたる文筆家的休業状態』を続行してきた林に

かぎって、ウッカリOKしたは到底あり得ない話である。

 ここで筆者は、谷川徹三の『思想座談会』に集まった知識人の一人に、木下

杢太郎がいたことを思いだす。あるいは、詩人、劇作家、小説家としての木下

ではなく、海軍系の人脈に連なる木下の存在が、東方社、あるいは陸軍、参謀

本部のイメージに連なる記憶を刺激した、と考えるとどうなるだろうか。」 

 落合さんは、このように書いてから、この文章が林達夫による「ある種の

告白」であるとしたらと続けています。この文章は、そのように読んでみる

というススメであるのかです。

 これを機に「反語的精神」を読んでみることにしましょう。(難しい言葉は

使っていないのですが、わかりにくいのですよね。)