父のこと、母のこと

 本日に手にしておりましたのは、図書館から借りている「鶴見俊輔 詩を語る」

であります。この本は鶴見俊輔さんに谷川俊太郎さんと正津勉さんが聞き手になっ

て詩の話などを聞くという体裁になっています。

 初出は「詩の雑誌 midnight press」で2003年のことだそうです。これが刊行

されたのは2022年で鶴見さんの生誕100年を記念したということですから、ずい

ぶんと時間がかかることにです。

 「父のこと、母のこと」という見出しは、この鼎談の部分につけられたものと

なります。

 鶴見さん、谷川さんともに有名な両親を持ったことになるのですが、当方が話題

にしたいのは、谷川さんの母のことでありますね。

 谷川さんの母親は、京都のお生まれで女学生の頃は、京都の大学生たちにもてた

ということで知られているのですが、そのことを当方は、林達夫さんの書いたもの

で知ることになりです。

 谷川さんが母親について語っているところだけを抜き出してつなげてみますと、

次のようになりです。

「母は、もともとは東京生まれなんですけど、すぐに淀に来たから。うちの祖父

長田桃蔵が政友会の代議士で、競馬場をつくるとか奈良電つくるのになんか関係

していたらしんです。住まいは淀城の外堀を使ったすごい屋敷でね。家の中に坂

があるんですよ、上り坂の廊下なんかあるような。うちの母と姉は、なんかその

城の中の美人姉妹で有名だったらしいです。

 常滑の大学生がやって来てたぶらかしたの。でも林達夫さんとか三木清さんと

か、うちの母、けっこう交流があったんです。林達夫さんはすごくたくさんうちの

母に手紙くださっているんですよ。いまだに僕持っているんですけど。

 三木清のラブレターって、うちの母が焼いちゃったんですよね、父と結婚する

時に。」

 これに続いては、この三木清のラブレターが世の中にでたら、そうとうな値段に

なるでしょうなんて話になるのですが、それはおいておくとして、この時の話は、

林達夫さんの「三木清の思い出」の印象深いエピソードとなりです。

 谷川さんが保存していた林達夫さんの手紙はといいますと、林達夫著作集の別巻

となった「書簡」に収録されて日の目を見ることになりました。谷川さんは、母宛

がたくさんあるといってますが、「書簡」に収録のものは父宛のものが多くて、

これに収録されなかったものもあるのかなと思ったりです。