最近に読んでいた「鶴見俊輔伝」に、次のくだりがありました。
「1970(昭和45)年春、鶴見俊輔は同志社大学教授を辞職する。六十年
代末からの学園紛争で大学構内の占拠を続ける学生たちに対し、教授会が
警察機動隊の出動を要請することを決め、実行したことに対する抗議の辞職
だった。・・・とはいえ、当時の同志社大学では、鶴見俊輔の講義を目当てに
入学してくる学生もいたはずで、これもまた彼らに対する『裏切り』である。
中川文男(1950年生まれ)という若者も、おそらく、そうした学生の一人
だった。」
先日に友人に「鶴見伝」を読んでいるとメールをしたら、友人の予備校同級
生は、鶴見さんの授業を受けるために同志社の新聞学科へといったと返事が
ありました。入学したのは70年春でありまして、ちょうど鶴見さんの辞職と同じ
タイミングでした。当方の予備校の同級生も同志社新聞学科にはいって、しば
らく当方の下宿に居候をしていたのですが、彼も70年春入学で鶴見教授の
謦咳に接することはできなかった。
中川六平さんこと中川文男さんは、入学69年ですが、あまり大学にいかずに
ベ平連の活動に入ったということで、それによって鶴見さんと運動の同行者と
なります。むしろ大学で教えを受けるよりも何倍もの影響を受けることになりま
したか。
ここからは、最近になって届いた「ぽかん 8号」に掲載されている内堀弘
さんの「六さんのこと」によります。中川六平さんは、岩国の喫茶店でマスター
をつとめたあと、東京タイムスという夕刊紙の配送部につとめ、そこをやめてか
らフリーでライターや編集の仕事をすることになりです。そういう時に、晶文社
から声がかかります。内堀さんが紹介する中川さんの発言です。
「晶文社に来たのも、そんな(編集)技術があるからじゃなくて、津野海太郎さん
から鶴見さんの座談全集を手伝ってくれっていわれて、それから一年契約の
歩合社員でやってきた。」
中川六平さんといえば、当方には晶文社の編集者というイメージが強いので
ありますが、ここで仕事をするようになったのは、鶴見さんの仕事でありました。
これに次いでは「期待と回想」という大作がありです。
晶文社の六さん本といえば、内堀さんの著作をはじめとする「古本」ものが
あります。これについて「ぽかん」の内堀さんは、次のように書いています。
「1998年に『古本屋月の輪書林』を出した。この本は評判がよくて若い古本屋
の間でバイブルのようになった。その後も『石神井書林日録』と『彷書月刊編集
長』を出して、自分でこれを古本屋三部作と呼んだ。
雑誌が古本屋の特集を組むような時代ではなかったし、六さんが古本屋に
興味があったわけでもない。『勘だよ勘』、俺は勘がいいんだと笑った。
たしかに六さんから勘をとればたくさんのものは残らない。」
ということで、不思議な編集者 中川六平さんであります。当方の書棚にも
六さんの本が何冊もならんでいるはずです。
本日にたまたま立ち寄ったブックオフで、中川六平さんが担当した晶文社の
古本関係本が安価でありましたので、最近の流れでいくと、これは買わないわけ
にはいかないと、買ってしまいました。
本日買った六さん本は、次のものであります。