戦後が終われば

 野坂昭如さんの新潮文庫「絶筆」の帯には、「この国に、戦前がひたひた

と迫っていることは確かだろう」という言葉が掲載されていました。この本の

どこかに、このままの言葉が登場するのかと思って、大急ぎでページをめくっ

てみたのですが、すぐには見つからずでありました。

 あちこちに同様の記述はありますが、ここでは2013年12月「特定秘密保

護法」が成立したときの日録からの引用です。

「与党の暴挙暴走、野党は何をしていたのか、メディアが今さら騒いでも遅い。

これほどの悪法、メディアも野党も止められなかった。

 そしてこんなお上を選んだのは国民である。病いも政治も同じ、危ないと

自覚した時はすでに手遅れ。明かせない秘密だらけの国で言論抑圧があたり

前となり、生きにくいと思うのち、お国のために死ぬこそ、国民として崇高な行

為であるという、かってまかり通った教えがよみがえる。

 世の中は再び戦前に戻ろうとしている。」

 「少しでも戦争を知る人間は戦争について語り伝える義務を持つ」というの

が野坂さんの基本的なスタンスでありました。政治的な立場を超えて、野坂さ

んから上の世代の人たちにとっては、戦争というのは避けなくてはいけないと

いう暗黙の了解があったように思います。

 本日の新聞に亡くなったことが報じられていた編集者 松本昌次さんは

戦後に未来社に就職し、その後影書房を創業された方でありました。著書に

は、以下のようなものがあります。

戦後文学と編集者

戦後出版と編集者

 2001年9月に刊行となった「戦後出版と編集者」のまえがきで次のように

書いていました。

「それにしても戦後精神を担った著者・出版人の相次ぐ死に連動するかのよう

な、ここ数年における日本社会の右傾化・反動化の動向には目を掩うものが

ある。・・・戦後日本の民主主義にとって決定的に重要な核心であったはずの

国民主権の原則を国民みずからがやすやすと葬り去ろうとしている。わたした

ちは、その現場に立ち会っているのだ。出版人の中からも、こうした現実に抗っ

て声をあげようとする者はほとんど現れてこない。わたしの心は限りなく沈鬱で

ある。」

 松本さんが「国民主権の原則を葬り去ろう」としていると記しているのは、

「日の丸・君が代」の法制化でありました。松本さんは、これを日本の民主主義

が死ぬ日といっているのですが、その時は、なんとまあおおげさなと思ったこと

でありますが、それから十五年ほどもたって、国民集権が危機に瀕している、

民主主義が形骸化していると言われているのですが、それでも一強体制が

続くようでありますので、これは焼くなり煮るなり好きにしてというようなもの

でありまする。