中公新書の若い書き手たち

 若い書き手といいますと文学畑でありますと十代で有名になる方もいますが、

学術関係ではそんなことにはなりませんですね。特に人文系は学者として認め

られるには論文を、それなりに書かなくてはいけませんですからね。

なかには博士論文が、ほぼそのままで出版にいたるという人もいますが、それ

は極めて例外的なことなのでしょう。

 一般読者に向けられた新書などに書くというと、その昔は大御所の役割で

あったのですが、このところとは若い書き手(当方の子ども世代1980年前後に

生まれた人)たちの良い仕事が、中公新書で目に付きました。(岩波新書にも

あるのかもしれませんが、なんといっても岩波新書の新刊は当方の街では手に

することができないですからね)

 当方が手にしたり、近年に話題になった中公新書にそうした若い書き手のも

のがありました。呉座勇一さんとか、山本章子さん、馬部隆弘さんなどが一般

の読者に知られるようになったのは中公新書から著作がでたことによりますね。

岩波が新書は大御所のものというような印象を与えたとすれば、このところの

中公新書は、どこの馬の骨かもわからない若い学者の意欲的な著作をとりあげ

て、ヒット作を生み出しているといえるでしょう。

 中央公論新社は、経営不振から読売新聞グループにはいって出直して、読売

傘下ということで心配されたのですが、けっこう独自色があって、いいですよね。

中公文庫も元気であるし。

 そんなことを思ったのは、先日に購入し頭のところをちょっとのぞいた中公

新書の山本昭宏「戦後民主主義」のせいでありますね。

 当方はほとんど目にすることのないネットの世界では「戦後民主主義」という

と、たぶんひどく叩かれていているように思うのですね。

だからといって、これに当方のような年代のものたちが、いや「戦後民主主義

にはいいところがたくさんあったといったところで、聞く耳を持つ人がいるとも

思えないことであります。

 やはりこういうのは、若い書き手の人たちに書いてもらわなくてはいけないの

ですね。こうした若い書き手にであれば、どんな厳しい批判を受けますのだ。

そういうことからは、山本さんは「戦後民主主義」のいけないところへのつっこ

みが、もっとあってもいいかな。