小沢信男著作 91

「書生と車夫の東京」の巻頭におかれているのは、この文集のタイトルにもなって
いる「書生と車夫の東京」というものです。書き出しは、つぎのようになります。
「 東京について語るのは、のっけからくたびれた気持ちになる。意気阻喪しかかる。
たとえばこうだ・・」
 こうはじまって、漱石の「三四郎」からの引用に続きます。「三四郎が東京で驚いた
ものは沢山ある。」からのくだりですが、漱石が1908年に記した東京と、それから
80年もたっての東京の現状との類似が指摘されます。
「 当時、日本は、日露戦争の辛勝により世界の列強に伍し、大国意識をもちだして
いた。日本資本主義確立の、一種の高度成長期だった。ただし国民の貧富は隔絶し、
生存競争のはげしさに自殺や神経衰弱がふえていた。石川啄木のいう『時代閉塞の
現状』の時代の、首都東京の様子である。
 約80年前のこの文章が、殆ど現在にも通じよう。電車のちんちんを高速道路の昼夜
をわかたぬ騒音にし、ロンドンまがいの丸の内をニューヨークまがいの新宿副都心に
し、おかしなほどに同じではないか。国民諸君はローンの下敷きになりつつ、中流から
ずっこけまいと血眼になっていて。自殺者は昭和58(1983)年度二万五千人、戦後
最高の記録であるし。」
 この文章が書かれたのは84年のことでありますが、それから25年も経過していて、
すこしは良くなっているのでしょうか。科学が進歩すれば世の中は良くなるという
ふうにすり込まれているように思うのですが、明治以降、ずいぶんとかわらずに
普請中が続いているようにも思えます。