手近に谷崎全集 3

 犬も歩けばではありませんが、最近購入した本の山にある任意の一冊を開いてみます
と、そこに大谷崎話題があります。
 本日は、この一冊です。

 瀬戸内さんは若い頃は、うんと魅力的でありましたので、鼻の下のながい男の小説家
には、そうとうに可愛がられたと思うのであります。まさにおやじごろしですが、
大谷崎の場合には、松子夫人が目をひからせていたでしょうから、それなりにあしらわ
れているようです。
 瀬戸内さんが最初に大谷崎宅を訪問したのは、京都の小さな出版社で働いていた時の
ことだそうです。
「社長はじめ社員は私と同年輩で、文学青年の社長、フランスでも玄人好みのネルヴァル
なんか出しているのでちっとも儲からない。一つ売れる文豪の原稿を貰いたいということ
になり、その頃京都に住んでいた谷崎潤一郎さん宅へお願いに行く役が私に下った。
秘かに作家になる夢を持っていた私は、勇みたってでかけた。」
 訪問した瀬戸内さんに対応したのは、松子夫人だそうで、文章のお願いにいったのに、
それは断られたにもかかわらず、松子夫人のたたずまいに魅せられてしまったとありま
す。
 最初の訪問から十数年後、瀬戸内さんが住んでいた東京文京区関口台町の目白台アパ
ートに大谷崎一家が越してきたことで、面会することができたとありました。大谷崎は、
湯河原に住まいを建てていての仮住まいで、いくつかの部屋を借りていて、仕事部屋が
瀬戸内さんの住まいと同じフロアであったとのことです。
 1964(昭和39)年正月アパートの入口で車を降りる舟橋聖一さんの姿をみかけ、これ
大谷崎のところにいくに違いないとかけつけて、同行をお願いしたことにより、面会
することがかなったとあります。
「はじめて実物の御本人に逢う緊張がとけた時、ようやく谷崎さんの姿がはっきり見え
てきた。これまで散々見えてきた写真の大谷崎の風貌とはあまりにちがった人がそこに
いた。洋服でも和服でも、見るからに上等なものをおしゃれに着こなし、傲岸な面魂を
見せていた大谷崎はそこになく、綿入かと思われる地味な着物の上にちゃんちゃんこ
ようなものを重ね、柔和な顔付をした町のご隠居さんふうの一人の老人がそこにいた。」
 瀬戸内さんが大谷崎とお逢いしたのは、この一度だけだそうです。大谷崎は、翌年に
亡くなり、その後、松子夫人に親しくしていただいたとありました。