先日に辻原登さんの新刊「卍どもえ」というのがでまして、いまだに購入
にはいたっていないのですが、タイトルに「卍」という文字が入っていると
いうことは、これはなんらかの形で谷崎潤一郎作品が下敷きになっていると
思うと、谷崎「卍」を読んでいないことに気が付きました。
家にある新書版谷崎全集で「卍」を確認しなくてはで、早速さがしてみるこ
とになりです。昭和34年に刊行となった全集第17巻に収録されていました。
まずは、これを読まなくてはです。
最初のところをぱらぱらとめくりますと、谷崎による主人公女性の語りが
とても良くて、谷崎は耳がいいなと思ってしまいました。大阪の昔のまちの言
葉でありますが、この作品が書かれたのは昭和3年から5年とありますから、
このときの大阪言葉のお師匠さんは、どなたであったのでしょう。
谷崎さんは、このくらいのときに松子さんとの関係が始まるのですが、この
作品には間に合わなかったのかと思うものの、谷崎のまわりに女性がいない
とは思えないことです。
「卍」の冒頭の一章を読んだだけで、この巻末におかれた「私の見た大阪
及び大阪人」に目移りです。
このエッセイがとっても面白いのですね。これは前にも読んでいるのですが、
本日は、これから引用であります。
大阪の女性は十人のうち七人までは美しい声の持ち主といってから、次の
ように続きます。
「私は劇場で俳優のセリフを聴く時以外に日本語の発音の美しさなどに注意
したことはなかったのだが、大阪へ来て日常婦人の話し声を耳にするやうに
なってから、始めてそれをしみじみ感じた。京女の言葉づかひが優しいことは
昔から知られてゐるが、京都よりも大阪のほうが一層いい。
京都人の発音は、東京に比べればつやがあるけれども、大阪ほど粘っこくない。
だから例のドス声をだすやうなイヤ味もない代わりに、それだけ魅力も乏しい。
私に言はせると、女の声の一番うつくしいのは大阪から播州あたり迄のやうで
ある。」
こちらの文章は、昭和七年のものですから、このときの大阪女性というと
松子さんのことになりますか。