手近に谷崎全集 2

 あっちにも、こっちにも大谷崎であります。
 先日に話題にした「文士の時代」にも、もちろん登場します。

文士の時代 (中公文庫)

文士の時代 (中公文庫)

終戦まもなく、まだ食料事情の悪い時代でしたが、京都の先生のところでは、ローズ
の松坂牛だか、神戸牛だかのスキヤキがでたり、砂糖も酒もふんだんにあった。お金も
どっさりあって、あるべきところにはあるんだなあとびっくりしたんですけれど、とに
かくたいへんぜいたくな方でしたね。・・・
 朝食を食べに、はるばる嵐山の大料亭まで出かけていくなんて、やっぱり大谷崎先生
でなきゃできないことでしたね。
 思えば、『細雪』の原稿運びも大変でした。新幹線のない時代に、先生の原稿を毎日
汽車で運ぶんですよ。ゲラが出ると、また汽車で持ってきて、先生に手を入れてもらっ
て、また汽車で持って帰る。絶対に郵便では送らない。・・なにがなんでも、夜行列車
かなにかで運ぶ。東京ー京都間を編集者が原稿の運び屋になってね。それだけ、出版社
も先生に気をつかって大切にしたわけですが、とにかく大文豪、大巨匠でした。」
 以上に引用したのは、「文士の時代」の大谷崎の写真に添えられている林忠彦さんの
文章です。いまでも関西に住む作家のところに、原稿を受け取りに足を運んでくる編集者
がまったくいないとは思いませんが、電子メールとかFAX、メール便が使われるように
なって、わざわざ編集者が足を運ぶというのは、時代錯誤といわれそうです。
それだけに、原稿がほしくれば、受け取るのに足を運べというのは、作家の力を示すのに
一番わかりよいポイントであるようです。
 大谷崎は、1933(昭和8)年の「文房具漫談」というなかに次のように書いているの
ですが。
「毛筆を使う場合には、原稿用紙も日本紙の方が便利であることは言うまでもないが、日
本紙はそれ以外にもいろいろ都合のいいことがある。第一、私は関西の郊外に住んでいる
ので、原稿を記者に手渡しすることは殆どない。いつも郵便で送り届けるのであるが、
そのためには、目方のかからない、嵩張らない紙質で、強靱なものの方がよいのである。」
 たしかに「文士の時代」での大谷崎は、原稿箋にむかい手には小筆を持っているのです。
しかし、ご本人は「原稿を記者に手渡しすることは殆どない。」と記していますが、これ
は額面とおりに受け取ることはできないことです。