「瀧口修造のシュルレアリスム展」には、瀧口が影響をうけたり、親交があった芸術家
の作品が展示されていました。作品リストにはエルンスト、ダリ、マグリット、ミロなど
のものがあがっていました。このリストをみますと、瀧口さんの手によるものはないよう
にも思えるのですが、ミロの作品のなかには、瀧口との共作ともいえる「手作りの諺」の
連作がありました。
しかし、「手作りの諺」を除くと、それは瀧口さんが制作にかかわったものとはいえ
ないですね。むしろ瀧口さんの制作物は、主たる展示室ではないところにひっそりと
並べられているがらくたのようなオブジェがそうであったのでしょう。
飯島耕一さんの短編集「冬の幻」に引用されている瀧口さんの文章の一節を引用です。
「私の部屋にあるものは蒐集品ではない。
その連想が私独自のもので結ばれている記念品の貼りまぜである。時間と埃りをも含め
て。石ころとサージンの空缶とインドのテラコッタ、朽ちた葉、ミショーの水彩、あるい
は『月の伝説』と命名されたデュシャンからの小包の抜け殻、サイン入りのブルトンの
肖像、ムナーリの灰皿、マッチの棒、宏明という商標のある錐・・・etc、etc。
そのごっちゃなるものがどんな次元で結合し、交錯しているかは私だけが知っている。
それらはオブジェであり、言葉でもある。永遠に綴じられず、丁づけされない本。
壁よひらけ!」
これについて、飯島さんのコメントであります。
「書斎はTさんの『オブジェの店』であり、Tさんの世界にただ一冊の詩集であったの
かも知れなかった。」
これに続いては、次のようにもあります。
「日本の現実に、どうあろうとも直結して、意味を持ってしまう言語の詩よりも、形態
と映像とオブジェのほうに、戦後のTさんは多く顔を向けていた。言語の詩は手垢にまみ
れてしまった、とTさんは思っている、と藤堂は受けとった。」
「この家の主は、多く画家や舞踏家のほうを向いていて、詩人を見る眼には何か翳が
あった。それは説明の難しい翳なのだが、藤堂にはしばしば感得されるのだった。
Tさんは詩というものにある時、決定的に絶望したのではなかったのか。」
藤堂さんこと、飯島耕一さんも鬱の人ですから、ほかの人以上に、感じたのかもしれ
ません。