今年も山猫忌 3

 今年の山猫忌、話題にするに一番ふさわしいのは工藤正廣訳「ドクトル・ジヴァゴ
未知谷刊の訳者あとがきであります。
 当方はまちの大きな書店で、この本を手にしてまずはあとがきを立ち見したのであり
ますが、ここに工藤正廣さんによる長谷川四郎さんへのオマージュがありました。
( 訳者と版元には申し訳ないのですが、いまだ購入していませんし、一回の立ち見に
終わっていますので、このところしか頭に残っておりません。)
 工藤さんの長谷川四郎さんへのオマージュは、工藤さんが初めてパステルナークの
詩集を訳して刊行したことに関わっています。

 先日も触れましたが、上記のデータにある工藤幸雄とあるのは、工藤正広(当時の
表記)の誤りです。工藤幸雄さんは、ポーランド文学者でありますから、近い存在では
ありますが。
 出版社は鹿砦社であります。最近もこの名前の会社はありますが、同じ名前を名乗って
いるだけで会社としては、まったく別といっていいでしょう。
刊行は72年7月でありますので、そのとき工藤さんは29歳となります。すでにロープシン
の小説の翻訳を発表していましたが、ライフワークとなるパステルナーク作品翻訳への
取り組みの第一歩となりました。


 当方が、この本を購入することになったのは、工藤正廣さんの友人であった独語教師
奥野路介さんとのつながりであり、長谷川四郎さんがこれに推薦文を寄せていたからで
あります。
(奥野さんについては、ここにも  http://d.hatena.ne.jp/vzf12576/20130320
 わかりにくいのでありますが、上にある写真は段ボールのダストカバーにまかれた
紙に印刷されているのは長谷川四郎さんによる推薦文であり、下の写真は本の表紙と
なります。
 どのような経路で長谷川四郎さんが、これに推薦文を寄せるようになったのかは不明
でありますが、今は長谷川四郎全集第13巻で読むことができます。(四郎全集の解説で
は、工藤広正訳となっています。あれれ!)
「 ボーリス・パステルナーク詩集『わが妹人生1917年夏』に寄せる
 パステルナークは『ドクトル・ジバゴ』で有名になったが
 ひどい日本訳でしかわれわれに伝えられなかったのは
 不幸なことだった。
 ソビエト・ロシアにおいても
 その官僚制度のもとにあって彼は不幸であったが
 ロシアをはなれようなどと考えもしなかった。
 プーシキン以来のロシアの詩人であって
 その目は
 ヨーロッパはもとより全世界にひらかれた
 宇宙的な詩人だ。
 永遠の子供らしさ。
 星々の寛大さと輝き。
 大地をうけついで
 それをあらゆる人間精神と分かちあう。 
 微妙にして難しいロシア語が
 こんど初めて
 それにみあう日本語になり
 一冊の本となった。
 註もたんなる註でなく詩の内面に立ち入るものである。 」
 
 長谷川四郎さんからのエールに、工藤正廣さんは力づけられ、この全文を口ずさむよう
になったと「ドクトル・ジヴァゴ」のあとがきにあります。
 これから40年が経過して工藤訳の「ドクトル・ジヴァゴ」が完成したことを、泉下の
四郎さんも喜んでいることでしょう。