年の初めに 2

 昨年の夏前から手にしていた「ドクトル・ジヴァゴ」の最終ページにやっとこさで
たどり着きました。よれよれ、ふらふらになって終わりまできた感じですから、読む
のに苦労した小説といえるでしょう。
 最後まで読み通せたのは、なによりも文章が良いからでありました。
この小説は映画化されていたりしていることもあって、ロシアの長編小説の伝統に
のっとったものと思って読み始めたのですが、これがまるで違っていて、筋を追って
読み進めることがほとんどできない作品でありました。
 この本の目次の次頁には、登場人物のリストが掲載されているのですが、主人公で
すらいろいろな呼び名で登場していて、これは誰のことであったかと思うことが何度
もありました。巻末には「主な登場人物」というリストがあるのですが、読了してか
らこれを見ますと、この小説とは、主人公とはそういうことであったのかとやっと筋
が見えてくるのでありました。
 この小説は筋を楽しむものではなく、詩的なひびきに満ちた文章を楽しむものであ
り、そうした断片からなるパッチワークのような構成を鑑賞するもののようです。
 この小説は短い章からなっていますが、これのどのページを開いても、美しい表現
が見つかります。
「ユーリー・アンドレーエヴィチは子供のころから空焼けの輝きが射しこむ森が好き
だった。そういう瞬間には、まるでその光の柱が彼の中を通過して行くようだった。
あたかも生きた精霊の贈物が、彼の胸の中に入って来て、彼の全存在を横切り、そし
てつばさをひろげて肩甲骨の下から外に出て行くとでもいうようだった。各人におい
て一生かかって形作られてその後永久に機能して自分の内なる顔、自分の個性だと
思うようになるこうした若年のときの原形が、彼のなかでその初源の力そのままの形
で目覚め、自然や森、夕べの空焼けや目に見えるすべてを、同じように初源的で一切
を包摂する一人の少女の似姿へと変容させた。<ラーラ!>と眼を閉じ、なかば囁く
ように、あるいは心のうちで自分の生のすべてに、聖なる大地のすべてに、彼の前に
広がり太陽に照らされた空間すべてにむかって、彼は呼びかけた。」
 工藤正廣訳「ドクトル・ジヴァゴ」 453ページから引用です。

ドクトル・ジヴァゴ

ドクトル・ジヴァゴ

 この小説を読んでいて、思わずにんまりとしてしまったのは、次のくだりのところ
でありました。
「疲労でユーリー・アンドレーエヴィチは転倒した。彼は薪を納屋の敷居越しに橇の
中に投げ込み、いつもより一度に運ぶ量を少なくした。雪がこびりついている凍った
薪片を寒さの中で掴むのは手袋をはいていても痛かった。動作を速めても温かくなら
なかった。」( 585ページから)
 にんまりしたのは「手袋をはいていても」とあるからです。手袋をはくというのは、
北海道では普通につかわれていて、北海道人は、これは全国共通だと思っていますが、
もちろん、そんなことはありません。極寒の地においては、手袋ははめるよりもはく
というほうがぴったりとくると、このくだりを読んで北海道人はよろこんでしまいま
した。
 この作品を読み返すことができれば、もうすこし良く読めそうでありますが、それ
はいつのことでしょうか。
 そういえば、パステルナークはノーベル賞を受けていたのでありました。1958年の
ことですが、この時は圧力を受けて授賞式にはでられなかったためです。スターリン
時代のことですが、今は昔であります。 
( http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/1958/ )