作家・詩人 長谷川四郎さんを追悼する山猫忌であります。拙ブログは例年この時期
に、山猫忌ということで長谷川四郎さんのことを話題にすることにしていますが、この
一年間に長谷川四郎さんに関して新しい発見はあったでしょうか。
「今年は1976年だからブレヒトが1956年に死んで、早いものだ、もう20年になるが、
ブレヒトはおよそ記念行事的なものがきらいだった。『コイナさん談義』に曰く
『コイナさんは別れを告げることに不賛成。敬礼することに不賛成。記念日に不賛成。
祝祭に不賛成。あだ討ちに不賛成。確定的な判決に不賛成でした。』(長谷川訳)と
ある。コイナさんはだいたいにおいてブレヒトの代弁者とみていいだろう。」
(「山猫の遺言」所収 「ブレヒト作業日誌」 図書新聞 1976年6月12日 )
長谷川四郎さんが亡くなったのは、1987年4月19日でありました。この文章の書き出
しをいただきますと。「今年は2013年だから四郎さんが1987年に死んで、早いもの
だ、もう24年になるが、四郎さんはおよそ記念行事的なものがきらいだった。」となり
ます。
今月に大きな書店で立見した未知谷刊「ドクトル・ジヴァゴ」の訳者あとがきに長谷川
四郎さんのことが、たいへん印象深く登場していて、このあとがきだけでも、この本を
購入したいと思ったものです。(まだ購入するにいたってはいませんが。)
そのようなことで、今年の山猫忌は訳詩に関してでもと思いましたが、残念なこと、
パステルナークの翻訳は見いだすことができませんでしたが、先日に渡り鳥に関連して
引用した詩が「風の神の琴」の巻頭にのっているのを見て驚きました。
ついでといってはなんですが、長谷川四郎訳詩集「風の神の琴」に収録の、次のもの
を一部引用です。
墓地 デスノス
ここがぼくの墓地になるだろう
ほかならぬこれら三本の樹木の下
ぼくは春の最初の木の葉たちを摘む
花崗岩の台座と大理石の円柱のあいだ
春の最初の木の葉たちをぼくは摘む
だがほかの木の葉たちは
食べるだろう 幸福な腐敗を
できれば十万年生きるこの死体を
( 略 )
ぼくはぼくの死後の名前を
まもることができるだろうか
洩れて血を失い息を失う
砂の干潟の忘却から?
ぼくはぼくの死後の名前を
忘却からまもることができるだろうか?