あれもこれも 4 

 大橋鎮子さんのお父上は北海道大学を卒業し、お母上は小樽生まれで、地元の女学校
を卒業してから結婚したのだそうです。そのときに、お父上は北海道にゆかりのある
日本製麻株式会社に勤務されていたとのことです。
 日本製麻(株)という会社は、いまも実在しますが、もともとは国内でとれる亜麻を
材料に麻をつくり、それで麻袋などを製造していたとのことです。大橋さんの著作には、
幼女時代を、お父上の赴任先である工場のある町で過ごされたとあります。
 最初の赴任は大正十年だったとのことです。
「父は、北海道の工場長として、東京から、母と私を連れて赴任し、北海道の草原での
幼女時代が始まりました。
 当時は、夏に白の麻服を着るのが紳士のたしなみとされ、銀座あたりでは、すこしシワ
のある白い麻服にカンカン帽が、男の夏の正装でした。そんな時代の製麻の仕事は、北海
道にとって大事な産業だったのでしょう。
 父は、小樽に近い小沢の工場長になりましたが、ここでのことは、私がちいさくてなん
にもおぼえていません。・・・
 父はその後萱野の工場長になりました。岩見沢の近くです。私は萱野で小学1年性に
なりました。」
 「北海道にとって製麻は大事な産業」とありますが、道内には製麻工場があちこちに
あったようです。
小樽に近い小沢というのは、どのあたりのことかはわかっておりませんが、萱野というの
は、岩見沢と境界を接する三笠市のことであるようです、どちらの工場ともに、今は
姿を消してしまっていますが、製麻工場は、いまの日本では成立しなくなっているよう
で、日本製麻(株)のページをみましても、製麻は海外の工場でしかやっていないよう
です。