新潮 2013.6 3

本日は「新潮」6月号を手にしておりました。
 今日を逃すとなかなかこれに掲載の「沈むフランシス」を読むことができないの
ではないかと思ったものですから、本日の移動時間に読んでやろうということに
なりました。荷物はすくなくですので、「新潮」をそのまま持っていくのはいかが
かとおもいまして、植草甚一さんに習い、思いきって、当該ページだけを切り離し
て、携行することといたしました。昔の雑誌と違って、最近は無線綴じであります
ので、簡単に切り離すことができます。
 「沈むフランシス」は、冒頭におかれていますので、表紙がついて、厚さが5ミリ
くらいの冊子となりました。これで準備OKです。
 「沈むフランシス」は、好ましく楽しく読んでいました。
なによりも嬉しいのは、作品の舞台が北海道であるからですね。主人公はこどもの
頃に住んでいた北海道の東部にある町「枝留」から40キロほど離れた「安地内村」
に世田谷区から移り住んで、郵便配達の仕事につくのであります。
 これって、最近話題にした「階級を選び直す」ではありませんか。
「桂子が安地内村に来て、半年近くが過ぎていた。人口は約八百人。郵便配達を
していれば、否応なく顔を覚え、覚えられてしまうほど小さな村だった。春から夏
になるぐらいまでは、制服を私服に着替え、買い物にでたり役場で用をたしたり
していても、こちらに向けられる視線をはっきりと感じた。」
 主人公 桂子さんは、父上の仕事の関係で「枝留」にいたのだそうです。
「中学一年から高校にあがるまで、乳製品の会社に勤める父の転勤で、三年間、
となりの枝留町に住んでいた。」
 主人公は35歳とのことですから、いまから20数年前に住んでいたのですね。
「枝留」というところも、そんなに大きな町ではなさそうで、その当時でも父親は
単身赴任を選ぶというのが普通ではなかったでしょうか。
家族を伴って赴任するというのが、父親のものの考え方をあらわしているようにも
思えます。
 この作品の細部にこだわって、北海道人の視点から検証するというのは、楽しい
ことです。それなりにリアリティがあるんですね、これが。
子どものころ超いなかに暮らしていた当方にも、納得の田舎生活の現実であります。