あれもこれも 7

 大橋鎮子さんの「『暮らしの手帖』とわたし」を手にしているのですが、大正時代
の北海道での暮らしのところでとまっています。
大橋さんは、大正9年(1920)3月10日生まれとあります。これは当方の亡父と同年で
ありまして、この1月26日に亡くなった安岡章太郎さんも、この年のお生まれであり
ました。当方の父と同年生まれというだけで、近しいものを感じることです。
大橋さんは大正10年に、北海道に移り5歳まで暮らすことになるのですが、いずれも
製麻工場の近くであったのですから、幼女時代は、自然いっぱいのなかであったの
でしょう。
「亜麻は、麦のように、どんどん大きくなります。私の背くらいになると、村の女の
人たちが総出で刈り取り、それを束にして、野原に立つように、さばいて乾かします。
 目のとどく限り亜麻の干された原っぱ。小さいころを思い出すと、この風景が必ず
目に浮かんできます。
 朝、目が覚めると、まっさきに、今日はなにをして遊ぼうかと考えます。
 今日はタンポポをとって食べよう・・・
 イタドリを探して、軸を取って食べる・・・
 川へ行ってザリガニをとって食べる・・・
 牧場の柵の中に入って遊ぶ・・・
 四つ葉のクローバーを探す・・・
 家の前には、私と同じか、七、八歳までの男の子、女の子七、八人が『遊ぼう』
『遊ぼう』と集まってきています。そのグループと、野原で一日中遊ぶのです。
 私はグループの大将、ガキ大将でした。いま思うと、そのころの私の無鉄砲さと
いうか怖いもの知らずが、決心したら何としてでも実行するという、私の性格の土台
になっているのかもしれません。」
 当方は、大橋さんよりも三十歳ほど年少になりますが、当方の子どものころに
過ごした地域は農村地帯であったせいもあり、上に書かれているのと大差のない雰囲
気でありました。そこには水田とか雑穀の畑などはあったのですが、亜麻を作って
いるところはあったのでしょうか。