「手紙が語る戦争」には、「ノモンハンからの書簡」という章があります。
ノモンハンで戦死した息子さんを深く悼む「遺勲録」をのこした人の孫が、その記録を
手がかりに、実家を探索してノモンハンで戦死した叔父さんの書簡30数枚の束を見つ
けて、この記録をまとめたものです。
この方は、昭和13年1月に入隊して、その月末には中国本土に渡ったとあります。
その後、3月には満蒙国境警備のためハイラルにはいり、14年8月にはノモンハンに
移動をしています。
この本によりますと、次のような状況となります。
「 ハルハ河を挟んだ国境地域ではソ連、外蒙との係争が頻発していたが、5月には
遂に第一次ノモンハン事件に発展、速射砲分隊長として連日激しい死闘を繰り返した
ものと察する。・・・7月に入っても衝突は拡大し、8月20日には物量ともに
圧倒的に優勢なソ連の機械化部隊の大攻勢が開始され、包囲分断された日本軍の
拠点は同月30日までにほとんど壊滅状態に陥ってしまった。
9月15日には休戦協定が成立し、国境はソ連外蒙の主張するラインで確定して
いる。
同月23日から26日両軍戦場での遺体収容を行うも、叔父の消息については、
その後二ヶ月をすぎても公表が発せられることはなかった。」
このような激戦の最前線においても自分の親に書簡を書くというのがすごいもこと
です。
「御手紙確か一週間ばかり前に転送されて戦地で拝見いたしました。・・何分中隊を
でて以来その便なく内地からの私信は普通で、もちろん当方からの差出し郵便を取り
扱うまでは行っていなかったのです。・・今度やっと郵便物を取り扱う旨発表され
ましたので早速この書簡をしたためる次第です。ハイラル出発以来もう随分になり
ますが、幸い至極元気にて最前線で大いに張り切っております故先ず先ずご安心くだ
さいませ。
尊い実戦の体験、今後もますます奮闘いたす覚悟です。」
この書簡を家族に発信して3ヶ月後に、このかたは戦死をしたということです。
ノモンハン戦争について、モンゴル人民共和国からのアプローチで研究をしていた
田中克彦さんが、新しい研究を岩波新書にまとめて発表しました。
- 作者: 田中克彦
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「 本書は、あの戦争はいったい何だったのか、背後にはなにがあったのか、どの
ような状況によって戦争に至ったかを、最近の研究から明らかになった成果に基づ
いて、できるだけ客観的に示そうとしたものである。
本書は、ともに強大国の傀儡であった二つの国家の間で戦われた戦争の後、一方は
あえなくついえ去ったけれども、もう一方はかいらいであることに耐え、耐え抜いて、
ついに独立に達した。一つの小さな民族が守り通した、かれら自身の言語によって文字
どおり命をかけて残した資料と研究にもとづいて書かれている。」
この本には、「戦場の兵士たち」という章があって、ここには「日本の兵士たちは
戦場で克明に日記をつけ、ときには歌を詠んだりしている。・・ほんとうは、こんなに
危険なことはないのである。太平洋戦争中、戦場で倒れた兵士たちが残したこれらの
日記帳や手帖が敵の手に落ち、それで日本軍の状況が知られ敵を大いにりすることに
なったとドナルド・キーンは指摘している。」
ノモンハン会というのがあって、この会は、兵士達が記した「ノモンハン戦場日記」と
いうのを刊行しています。
停戦協定のときの日記が、田中克彦さんの本には引用されていました。
「 9月16日 山縣部隊の軍曹に逢う。山本、吉田両少尉の戦死が判明した。
突然砲手定位につけの号令で、帯剣して定位についた。話によると停戦協定が
成立したそうだ。亡き人々には申し訳ないが、これでやっと安心だ。」