知らないことばかりで

 図書館から借りている「日ソ戦争 1945年8月」を流し読みしております。

日ソ戦争 1945年8月――棄てられた兵士と居留民

日ソ戦争 1945年8月――棄てられた兵士と居留民

  • 作者:富田 武
  • 発売日: 2020/07/18
  • メディア: 単行本
 

  本当でありましたら、流し読みするようなものではないのですが、ひどく重た

い内容のものですから、重たさに負けないようにするには、読み流しをするしか

ないですね。

 大体に当方などは戦争は1945年8月15日に終わったと思っているのですが、そ

れは、日本国内では常識でありましょうが、交戦国ではそういう受け止めはして

いないのですね。それを今年は痛感であります。ロシアが戦勝記念日を9月3日と

したのですが、それまでは戦争が継続していたということになります。

 北方領土をめぐる対応では、日本の政治家はポツダム宣言とかヤルタ協定など

を知らないのではないかという話がでましたが、これは当方も同じでありまして、

この年になるまでポツダム宣言などを見ることがありませんでした。

 日ソ戦争は主に大陸で戦われたのですが、あとすこしで北海道にも進攻となる

ところであったようです。

「極東軍部隊と太平洋艦隊の占領すべき地域が全満州内モンゴル遼東半島

三十八度線以北の朝鮮、サハリン南部、釧路ー留萌ライン以北の北海道、全クリ

ル諸島と指定されている。

 北海道上陸作戦は結局、8月22日午前中にスターリンが準備を中止するよう命令

した。

 ちなみに、北海道上陸作戦準備のため留萌沖に待機していたソ連の潜水艦(「国

籍不明」とされた)が、南樺太からの『疎開』船である小笠原丸、第二新興丸、

泰東丸を雷撃、砲撃して撃沈、大破させ、死者1556人、行方不明105人を出したの

は、8月22日午前のことだった。」 

 当方の住む町には、この疎開船で亡くなった方の関係者が多く住んでいることか

ら、この攻撃のことは語りつがれているのですが、こうした無念な死というのは

戦争に関連して、ほんとに多くあったことでありまして、いずれにしても指導者の

責任は重いのですから、歴史から学んでほしいと思うことであります。

 「日ソ戦争」の著者 富田武さんは、次のように書いています。

「とまれ、この種の虐殺につきソ連・ロシアの公式の日ソ戦争史は沈黙を続けて

いる。」

 都合の悪いことは、歴史に残さないというのは、立場をこえて共通のようであ

ります。