戦争で幸せになった人なんているのでしょうかね。どの戦争もすべて
やむを得ない戦いであったということになるのでしょうが、戦争で儲け
た人はいると思われますが、その人たちも幸せになったのかな。
昨年かに若い国会議員さんが、北方領土へといったときに、これを取り
返すためには戦争という方策しかないといって、さすがにこの発言は問題
となりましたが、たぶん同じように思っている人は多いのでしょうね。
明治期以降の大日本帝国の間違いは、日露戦争に勝利を収めたことに
よって起こったとも思われることです。日露戦争から第一次世界大戦と
日本は勝ち組となって、海外に領土を得ることになりです。
ということで、例年この時期になりますと手にする林達夫さんの著作か
らであります。
「戦後まもなく私の入手した外国雑誌類の中に、スターリンが対日参戦の
のち将兵に与えたメッセージの全文を見出してそこから甚大な衝撃を受けた
という少事件、否、私にとっては大事件があったからである。
スターリンによれば、満州に進駐した赤軍将兵は、その父兄がかってそこで
受けた国民的屈辱を雪いで仇をとったのだ。それを彼は祝福しているのだ。
レーニンはわざわざ『恥ずべき敗北を喫したのは、ロシア人民ではなくして、
この専制主義である』と断っている。そのレーニンの『正統的』後継者たる
スターリンは、いつこの専制主義とツーリズムの後継者、否、僭奪者になった
のであろう。」
「旅順陥落 わが読書の思い出」という岩波「図書」1950年7月号に掲載の
文章の一部であります。
林達夫さんは、革命後のロシアに対してシンパシーを抱いていたと思われます
が、日本の国内ではソビエトロシアにならって革命政権樹立なんていう盛り上
がりのなかで、このように文章を発表したのでありました。
当時のスターリンというのは大日本帝国における天皇のような存在でありま
したので、この文章は、とんでもない発言となるのですが、その後ロシアで
スターリン批判が起こってからは、先見の明を褒め称えられることになるわけ
です。
広く情報にあたって、それを適切に読み解けば誰にでもできそうな判断であり
ますが、それってとても難しいことであります。
ソビエトロシアが崩壊し、今また別の大国となっていますが、長らく機密扱い
となっていたロシアの文書が機密解除になってきていることから、日ソ戦争関係
の研究が進んで来ているとのことです。
先日に図書館から借りました「日ソ戦争 1945年8月」というのは、そうした
機密文書解除の結果を受けて書かれたものだそうです。
日ソ戦争の分析がこれまで遅れていることの理由として、著者は、次の二点
をあげています
「1 ソ連の崩壊まで公文書が機密文書となっていて、ロシアの研究はナチスと
の戦いに傾注されていたこと。
2 日本の研究は、アメリカの国力に負けたという認識から、中立条約を破っ
てのソ連参戦を非難しても、これによる敗戦への『トドメの一撃』を認識せ
ず、しかも冷戦下で『抑留問題』と『領土問題』がいっそうソ連嫌いを助長
した。」
先日の新聞には、1939年8月のノモンハンで始まって、1945年8月モンゴル東
部から進撃したソ連軍主力の満州攻略で終わりをつげたとありました。
「中立条約を破って」というだけではなさそうです。
8月15日で戦いが終わったわけではなく、生き残るための戦いはこれから始ま
るというのは、横井庄一さんとか大陸から命からがらで逃れてきた移住者などに
切実な問題でありました。
この本は、なかなか読みすすめるのが大変そうでありますが、つまみ読みでも
いいので、なかをのぞいてみることにします。