本日も雨

 お盆にはいったとたんにお天気がぱっとしないことであります。13日からは
ほぼまったくおひさんが姿を見せないことでして、ずっと雨または雨模様が続き
ます。これは残念なことです。
 本日に予定されていた来客は、雨がひどくなるという予報であったために、
訪問中止となりました。これは10日あとに改めてということになったのですが、
その時は、お天気がよくあってほしいものです。
 そういうことで、本日は本の片付けなどをやっておりました。いまだ捨てる山を
作りだすことができていないのですが、なんとなく積まれていたダンボールが少な
くなって、畳が見えるようになってきました。そこに座って古新聞に目を通して
いたのですが、本日手にしていたのは2004年のものでした。この時代の新聞には、
今よりももっと保存しておきたいと思う紙面があったことです。保存するつもり
で残したあったのは、加藤周一さんのコラムとか、丸谷才一さんのコラムなどで
ありました。どちらも単行本になっているのですが、新聞の紙面で読むというの
はいいことです。特に丸谷さんのは、和田誠さんのイラストつきでありますので、
捨てられないこと。
 そんな新聞の山のなかに、田中克彦さんがノモンハン事変に参加した日本軍兵
士が捕虜となり、その後現地でモンゴル系のソ連人と結婚して、そこで暮らし、
その方の子供さんから手紙をもらって、その家族を訪ねてロシアに渡ったことに
ついての文が掲載されていました。掲載日は、1999年9月30日です。
 本日の夜に「ノモンハンの真実」というドキュメントがありました。まさに
死屍累々の負け戦であったということがわかります。この事変は1939年5月のこと
ですから、第二次大戦よりも前のことで、だから戦争ではなく、国境紛争である
のですね。
 それにしても、この紛争で捕虜となったり、行方知らずとなった人の数は千人を
超えるともいわれていまして、なかには現地の社会に溶け込んで、過去を消した
人もいたのでありましょう。
 田中克彦さんが、その娘さんに尋ねたことです。
「やがてブリヤート女性との縁組が行われ、生まれたのがナデージュダさんだ。
しかし父が、自分は日本人だと明かしたのは、死の寸前だったという。・・
 私はここで、最も聞きづらい質問をあえて発してみた。
『ところでお父さんは、どのような状況で捕虜になったか聞きましたか。』と。
答えは即座に返ってきた。
『父は、人を殺してはいけないという教えを固く信じていたので、ほとんど戦わず
につかまったということです。でも、何か心の中に重いものを抱きつづけている
ようで、いつも苦しそうでした。」
 戦争で幸せになる人はいないことで。