「父の娘」として4

 矢川澄子さんが亡くなる三ヶ月前「朝日新聞」の読書欄に寄せた「いつもそばに本が」
という文章が、没後に刊行されたエッセイ集「いづくへか」に収録されていないのは、
どうしてかと思っていました。一度発表した文章ですから、収録をためらう理由は
ないはずと思ったのですが、この文章は亡くなった年の10月に「ユリイカ」臨時
増刊 「矢川澄子・不滅の少女」に収録されていました。
 矢川澄子さんのことは、昔から気になっていて、すこしづつ集めていたのですが、
しばらくぶりに、この「ユリイカ増刊」のことなどを思い出して、押し入れにはいって
いた矢川さんの本を取り出してきました。
 どうして矢川澄子さんの本を手にするようになったのかと思いましたが、それは
どうやら次のくだりに関係がありそうです。このくだりは「いつもそばに本が」の
なかにあるものです。
「 子供のころは変なお話という印象しかなかったルイス・キャロルの『アリス』
二部作を再読する機会に恵まれたのは瀧口修造先生のお陰だった。」
 そうか、アリスへの関心からであったか。

不思議の国のアリス」がブームとなって、ユリイカがアリス特集をして、それが
ロングセラーとなっていた時代がありました。小生のなかまで関心を読んだのは、
中井英夫「虚無への供物」のなかに「アリス」が取り上げられているからでした。
中井英夫の反世界と不思議の国への入り口が奇妙なシンクロして、腕時計をさかさに
はめるなんてのがはやったりしたものです。(腕時計といえば、そのあとにオリエント
から反時計まわりに針がまわる時計が売り出されたことがありましたね)
 小生が最初に購入した矢川さんの本は「戯れ唄『ことばの国のアリス』」であり
ました。現代思潮社から74年にでたものです。この詩集のあとがきには、つぎの
ようにあります。
「 ともあれ三年前のある日、ルイス・キャロルの写真集に添えた一連の横文字の
投げキスによって、久しく凍りついていたこの舌を呪縛から解き放ち、失われて
いた唄をとりもどさせてくださった瀧口修造氏の炯眼には、いまさらながら畏れいる
ほかない。おくればせながら、氏の古稀のお祝いの意味をこめて、このささやかな
一冊を捧げさせていただく。」
 瀧口修造さんが、矢川澄子さんに英語で詩をつくって、それでアリスすみことよび
かけているのですが、71年に書かれた詩が、この詩集の扉を飾っているのでした。