すっかり忘れている

 本日放送があったTV東京系の「家についていっていいですか」を見ていたら、

家人からこの話題は以前に見たことがあるよねといわれましたです。なんとなく

そうかなとも思ったのですが、ほとんど初めて見るかのように楽しんでおりまし

た。その話題が終わったあとに、3年後にその家庭を再び訪問し、最近の家族を

撮影していましたので、これは家人の指摘通り、過去に目にしているのでありま

した。とにかく、よほどでなければ見た片端から忘れるようです。

 これは本についても同じでありまして、読んだらすぐに忘れるのでありますか

らして、なんどでも新鮮に読むことができるのでありますね。

 本日は枕本、高山宏さんの「雷神の撥」を手にして、ページをめくって、気に

なる単語がでてきたら、手を止めていました。

 本日に手が止まったのは、矢川澄子さんの名前がでてきたからでありますね。

文章のタイトルは「身内と胎内 『失われた庭』の僕」というものです。

 矢川澄子さんの「失われた庭」に重ねて自分のことも語るのでありますが、

これが壮絶でありまして、高山さんのわけありの話となるのでありました。

「結局、ぼくが稼いでいる定期的なものは給与といわず賞与といわず、一切合財

が女房の口座に入る、物価の大変動だとか、ぼくの転職だとかある場合には再度

話合うといった、およそ世人にはバカバカしくて想像を絶する文章をさらさらと

書いて捺印した。月の半分をサラリーマン、残る半分を執筆と翻訳に明け暮れる

フリーランサーとして送るぐっちゃぐちゃの日々が、この瞬間に始まる。

 ぼく、愛する相手は結構いる。第一、澁澤龍彦がいるわけだ。しかし尊敬する

相手となれば嵐寛寿郎とか火野正平とか、この頃では杉良太郎とか、妙な人ば

かり頭に浮かぶ。女ができれば前の女と切れなくては許される世間なのであれば、

その時の持ち合わせの一切を女に与えて出奔というのが、男と女のせめてもの、

最低限の仁義である。からっけつで出る他ない。わずかな気概。」 

 天下の嵐寛寿郎(アラカン)に続いて、火野正平さんの名前があがるのですか

ら、火野さんも以て瞑すべしでありますね。この文章が発表されたのは、2002年

でありますので、この頃はというのは、その頃のことで、火野さんは最近の人気

ぶりからは想像もできないゴシップヒーローであったのですね。

 自分の火宅の生活の体験から、澁澤ー矢川夫婦の有り様に突っ込みをいれると

いうのが読みどころのように思えるのですが、これは「ユリイカ」に発表された

ものであるということで、ということはこれの初出は「矢川澄子・不滅の少女」

であるのか。

 これ読んでいるけど、すっかり忘れていることで。