本日は図書館の入れ替え日でありました。返却日の来た本を一度戻して、
また借りる手続きをし、あわせて新しいものも借りてくることになりです。
本日に借りましたら、あわせて9冊ですねと言われました。そうなんだよね、
何冊読むことができるものやら。
本日に新たに借りた一冊は、パラパラと読むことができるのではないかと
思って借りたものです。著者のことはあまり知らないのでありますが、その父
親のことには興味があります。
本を手にして、ちょっとのぞいたら父が家族にあてた絵入りの手紙が掲載
されていて、こういう手紙をかける人って、ほんとにすごいなと思うことです。
まずは、目についたところから読んでみることにですが、父親のつながりより
も母親つながりの人にひかれることです。
まずは矢川澄子さんがあがっています。
「 母と矢川澄子さんの出会いは、母が女学校を卒業する1951年頃です。ある
日、ピアノを弾く姉・莉莎子の音楽仲間で、バイオリンを弾く矢川家の長女・仰子
さんが内田家にみえたとき、お供していたのがすぐ下の妹の澄子さんだったの
です。」
堀内花子さんの母は、内田巌さんの次女でありますから、矢川家と内田家と
いうのは親族に著名人が多いということになります。
「母は巌の知人たちの紹介で左翼系の出版社のアルバイトをするようになりま
す。すでに澄子さんは岩波書店で校正の仕事をされていましたから、ふたりは
馬があっただけでなく、大いに仕事の情報も共有できたことでしょう。」
母・路子さんよりも矢川さんのほうがいくつか年長さんでありまして、矢川さん
の年譜には、次のようにあります。
「1952年 22歳 日本青年共産同盟中央合唱団のアンサンブルに姉・仰子
(ヴァイオリニスト。のちチェリスト・桐朋学園大学教授の井上頼豊夫人 年譜
にはありませんが、音楽家井上鑑さんは息子さんとなりです。)が画家・内田巌
の長女・莉莎子とともに参加していたことから、その二女・内田路子(のち堀内
誠一夫人)と知り合う。
1953年 年末から翌年春にかけて、内田路子の紹介により福音館書店で
ポケット版の『日本人名事典』、経済調査会の桜井四郎、内田とともに編集す
る。
1954年 夏、内田路子と宇奈月温泉、黒部ダム、乗鞍岳、白骨温泉、松本、
美ケ原に10日間の旅行をする。」
堀内花子さんの「スミコさんのいた日常」を読んでいますと、「日本人名事典
のことや旅行のことが出てきて、それを矢川さんの年譜と照らし合わせる楽しみ
がありです。

