「父の娘」として3

 矢川澄子さんのことをネットでみますと、彼女が死を覚悟してから残した遺書の
ような文章は、発表されずに今にいたっているとありました。矢川さんが亡くなって
から単行本未収録のエッセイは「いづくへか」という本にまとめられているのですが、
生前の矢川さんが書かれたもので、小生が最後に目にした文章は、このエッセイ集に
収録されていません。この文章からは、悲痛な感じを受けたのですが、そのことが、
エッセイ集から除外された理由(そうでないとすると、関係者への配慮か。)が
わかりませんです。
 その文章というのは、朝日新聞2002年2月3、10、17日の3回、読書
ページに掲載された「いつもそばに本が」というものです。
一回目の見出しからして、「男なみに、と志した ちいさな『父の娘』」とあるの
でした。一回目の書き出しは、以下のようなもの。

「 おそらくは、並はずれて小柄に生まれついたことが関係しているかもしれない。
幼い頃のわたしにとって、わが身の属性は、女であることも含めて、ことごとく
取るに足りない。ちっぽけなものに思われた。
 七十年代に一度だけお目にかかる機会のあった神谷美恵子氏は、当時私の書きだした
ものを見て、『その自虐趣味はいいかげんにして』と評されたが、本人のつもりでは
ものごころついてこのかたの世界観だからいたしかたない。大柄の人々に追いつくは
骨の折れることだ。何でも一生懸命に努力する癖がここから生まれた。」

 このページには、矢川さんの近影が添えられているのですが、この写真は一月ころの
ものでしょうか。