「岡田史子」−驢馬とスープ

 昨日に続いて四方田犬彦さんの「驢馬とスープ」から話題をいただきです。
 高校生の四方田に強いインパクトをあたえた人については、「ハイスクール
1968」にも書かれているのですが、ほとんど忘れ去られた存在であるにも
かかわらず、四方田に強い影響をあたえたことで、「不死の人」となったかんの
ある漫画家が「岡田史子」さんであります。
 岡田史子さんのことを慕って、彼女がまだ元気であったときに、ほとんど
親衛隊のような存在であったひとに、作曲家 青島広志さんがいます。岡田さんは、
ずいぶんと才能ある人たちに支持されていたことがわかります。

岡田史子は1949年に北海道に生まれた。漫画家でいうと、大島弓子とか
竹宮恵子萩尾望都と同じ年である。いや、この表現は正確ではない。今では
巨匠となってしまったこの人たちは、みんな岡田史子が17歳でいきなり登場した
ことに刺激されて、漫画家を志すことになったからだ。だが、彼女たちの作品が
もてはやされ、少女漫画にニューウェイブの到来が喧伝されるようになった頃、
岡田史子はとうに筆を折っていて、誰もその行方を知っている人はいなかった。
・・・おそらくこれほどに思弁的で難解な主題が漫画に取り入れられてことは、
これまでになかった。たった二人の人間が対話をするだけのアクションもギャグも
ない漫画。・・わずか6頁しかないにもかかわらず、夥しい文学的言及に終始して
いるのである。
 これはまさに革命的ともいえる事件だった。COMは手塚の火の鳥が連載されて
いることがウリの雑誌だったが、わたしにいわせてもらえば、岡田と宮谷一彦
輩出したことで漫画史に記憶される雑誌である。・・
 岡田史子が漫画家として活躍していた時期は、わずか4年にすぎなかった。
人生に対してあまりに直向すぎて、精神を消耗させてしまうという人間が、どの
時代にもいるものである。」 

 四方田のこの文章は、05年4月に書かれたものです。たしか、その年の秋かに
岡田の高校の同級生たちがふるさとの文化センターを会場に回顧展を行ったので
あります。これにゲストで四方田がくるのではと思ったのですが、そのような
ことはなくて、彼女の親衛隊長であります青島広志がはるばるときて、岡田史子
世界についての講演をしていったのでした。
 17歳で世にでて、21歳で姿を隠してしまうという作家歴ですが、帷子耀
類似したデビューは、早熟を絵に描いたようなものといえるでしょう。