「1920年生まれ」驢馬とスープ

 困った時の四方田頼みでありますが、ここ何日かは四方田犬彦「驢馬とスープ」から
題材をいただきです。

奥崎謙三原節子李香蘭安岡章太郎
 この4人に共通するものとは、何だろうか。それは、いずれもが1920年に日本人と
して生まれているという事実である。彼らは日本が敗戦を迎えたとき、ともに25歳で
あった。
 原節子はそれまでスクリーンで軍国主義の女神を演じていたが、ただちに180度方向
転換して、戦後民主主義の女神となった。李香蘭はしな人として、上海での裁判所で危うく
民族反逆者として死刑になりかけたが、日本人だと証明されて無罪で記憶を果たした。
安岡章太郎は少しも役に立たない一兵卒であり、日本の敗戦のいみを考えるため、のちに
敗戦国であるアメリカ南部に留学した。わたしは先の二人の女優については、彼女たちの
生涯を対照しながら評伝を書いたことがあった。安岡さんについては、その小説を含めて
じっと考えているところである。奥崎さんについては、たぶん、もう書くことがないだろう。
 だが、いつまでもわたしの心から離れないのは、25歳で国家の敗戦を迎え、すべてを
ゼロから始めなければならなかった人間の孤独と絶望である。またあ彼らが戦後社会の
進展のなかで感じてきた違和感であり、同世代の死者たちを差し置いて偶然に生き延びて
しまったことの慚愧の感情である。ここを理解しておかないかぎり、わたしは日本人論を
進めることができない。」

 長い中断をはさんで、安岡章太郎の「僕の昭和史」の読書を再開したのは、先週のことで
ありました。もとは講談社文庫で三分冊であったものですが、小生がてにしているのは、
新潮文庫となったものです。全体の半分を過ぎて、芥川賞を受けて、筆一本で家族を
支えていく大変さに直面するのですが、とにかく、これまでのところでは、ほとんど
なんの役にもたっていないのでありました。
「現実に戦争は終わって、僕らはこうして復員してきた。しかし、あたりを見まわすと、
目の前にひろがった風景や食い物や友達の顔が、みんな現実のものとは信じられない
ようだった。べた一面焼け野が原になった東京」
 
 1920年生まれというと、小生の父も一緒でありました。身体が弱かったせいか
ほとんどの同級生が経験した軍隊生活をしらない(それに類似した集団生活はしていた)
ということで、なつかしそうに軍隊のことを語るなんてことはありませんでした。
ほとんど、戦時中のことについてはきいたこともなかったのですが、奥崎、原節子
同級生であるのでした。