今月の真理子さん

 当方が定期的に目にする斎藤真理子さんの文章は、「ちくま」に連載の

「読んで出会ったすごい人」となります。

 8月号では「たった一編の詩だけで残る本 森竹夫『保護職工』」という

タイトルで、森竹夫さんの詩を取り上げています。

この森さんという人は、まったく知らない人であるなであります。「保護職工」と

いう言葉も初めて聞きますし、そもそもこの詩が収録されたアンソロジー

1929年に刊行とありますので、昭和4年の話で、もう90年以上も前のことに

なります。

 斎藤さんは、森竹夫さんのことを金子光晴さんがほめていたので知ったと

記していました。金子さんのことは茨木のりこさんがほめていたから知ったと

のことで、彼女のなかでは詩人連想ゲームのように茨木のりこ、金子光晴

森竹夫とつながるのだそうです。

 それで森竹夫から連想でつながる詩人は、三木卓さんとなるとあります。

それはそのはずで森さんの三男にあたるのが三木卓さんなのだそうです。

森竹夫さんは1946年に41歳で亡くなって、その時三木卓さんは10歳で

あったとあります。

 当方は三木卓さんといえば、「若き詩人たちの青春」という本を読んだきり

ですが、このなかで自分の父親に言及しているところは記憶に残っておりま

せんでした。(この文庫本をすぐに取り出すことができずで、確認もできてお

りません。)

 斎藤真理子さんは、次のように書いています。

三木卓はこの本の中で、自分の詩も父の詩も引用していない。だが、金子

光晴が『保護職工』をほめてくれたことへの礼だけはきちんと書いてある。

『それは、若くして挫折した詩の仲間のひとりの遺稿への感想として、愛情に

満ちたものだった。ありがたいことだった』と」

 この「保護職工」という詩は、現在は青空文庫で読むことができるとのこと

でして、古書店月の輪書林」の高橋徹さんも「月の輪書林それから」の中で

何度もこの詩を読み返していると紹介していました。

www.aozora.gr.jp

 三木卓さんの「砲撃のあとで」には、1945年の敗戦に際して満州で暮らして

いた父が、どのように行動していたかが描かれているのだそうです。

 このように紹介してもらうまで、この小説のことも知らずで、これは8月に読む

ものであるのかもしれません。

 そういえば8月の真理子さんは「週刊新潮」のコラムに関しても、声をあげた

深沢潮さんへの支持を表明しています。政治的なスタンスにおいて広く幅があ

るというのは、メディアとしてけっこうなことでありますが、人権問題等において、

ヘイトととられるようなのは、やはり問題であることです。

 コラムの書き手の方を支持する人も、最近は多くなっているのかもしれません

が、それにすり寄っていくのは、危険であります。