小樽にゆかりの 11

 飯島耕一さんは、時局に迎合する詩を発表せざるを得なかった瀧口修造さんを糾弾
することを目的に、この小説「遠い傷痕」を書いているわけではありません。
飯島さんの世代は、「小学校の時に日中の戦争が始まって、『聖戦』の意義を疑った
ことがなかった。それどころか、藤堂は陸軍の学校の受験までしている。」とありま
す。
 これに引き続いてです。
「心のもっと深いところには、こうして複雑な感情がとぐろを巻いているようだった。
一つは、戦後になってから得た認識から、藤堂は反戦平和こそ絶対のものと思うように
なっていた。詩人でも金子光晴のように、多少の曲折はあろうと反戦詩を書き続けた
詩人を好きになり、ついで戦中の十年間沈黙して、日本の古典やエリオットの研究に
打ち込み、ただ一篇の詩も発表しなかった西脇順三郎を尊敬するようになった。
そしてTさんに敬愛の気持ちを持った。
 多くの生きのびた戦争に迎合した詩人に反感を抱き、彼等にしばしば軽侮の念を覚え
さえした。」
 作者の中では軍国少年であった自分と、絶対に戦争は悪なのだ。とりわけ詩人が
戦争に協力したことは許せないとする自分が、せめぎあっているのであります。
そして「Tさんのただ一篇の戦争詩にこだわらずにいられない」と書くのでした。