他の本に手が伸びていない

 ここ何日か岡崎次郎さんの「マルクスに凭れて六十年」を読んでおりま

して、他の本には手が伸びておりません。まあ、それだけこの本が面白いと

いうことかもしれません。この調子で行きますと、あしたくらいにはおしまい

にたどりつくかもです。

 さて、他の本も読んで前に進めなくてはいけないことです。

図書館から借りている本では、「杉浦康平と写植の時代」が残り少なくなっ

ているのですね。これはずいぶんと時間がかかっているのですが、返却日

までには終わらせなくてはです。

 あとは海老坂武さんの「生きるということ」でありますが、これはゆっくり

時間をかけて読むものでありまして、先を急ぐものではないですね。

これにあわせてモンテーニュも読んでみたく思いますが、そこまでいくことが

できるかな。

 海老坂さんの本を読んでいての楽しみは脇道にそれるところですが、最近

に読んだ本ということで、2017年に読んだ本のタイトルがあがっていますが、

そこにあがっている中井久夫さんの「戦争と平和 ある観察」に関連しての

くだりから引用です。

中井久夫。この本でもおそるべき早熟な少年だったことがわかる。

実は2009年に私は関西学院出版会主催のシンポジウムでこの精神科医

対談したことがある。彼は同じ昭和9年の生まれ、ということで世代的に共通

するものがあると思っていたのだが、とんでもない思い違いだった。

中井は早生まれで学年が一つ上である。つまり私は誰もが入れる新制中学

の第一期生、彼は入試の厳しい旧制中学の最後の世代という制度的断絶

=文化(教養)的断絶があって、教養の幅という点で私は圧倒的に劣るの

だが、それだけでなく、中井個人が恐るべき早熟な少年、好奇心の飛び抜け

て旺盛な少年であったことを知ったのである。」

 中井久夫さんはどのくらいすごいのかと思ったりするのですが、海老坂さん

クラスからみても段違いなんですね。もうひとつ、世代的な断絶というのが、

昭和9年くらいにあるというのは、若い人たちに記憶しておいてもらいたいな。

その昔の人であれば旧制高校と新制高校は、まったく違うものということが

わかっているでしょうが、最近の人は、わかっていないだろうな。