昭和七年生まれというだけで、黒井千次さんの「石の話」(文芸文庫)を
購入してしまいました。作品のいくつかを読んだところですが、昭和七年生ま
れらしいところはあるだろうかです。
先日に記しましたが、昭和七年おそ生まれの方は普通に進学していれば
新制高校がスタートして初めての入学生でありまして、ほとんどの都道府県
では高校が男女共学となったのでありました。(もちろん伝統ある公立高校
のなかには、つい最近まで男子校、女子校が残りましたが、これはGHQの
指導が行き渡らなかったからと言われています。)
そんなことを思って、高橋英夫さん(昭和5年生まれ)が書かれた解説を
読んでいましたら、冒頭から次のようにありです。
「 昭和七年(1932年)生まれの小説家はおおぜいいて、黒井千次のほかに、
後藤明生、高井有一、五木寛之、石原慎太郎、小田実、小林信彦と、多士済々
の感じを受ける。」
高橋さんがあげていない作家といえば青島幸男がいて、石堂淑朗がいて、
江藤淳と吉原幸子、岸恵子さんがいます。なるほど多士済々です。
高橋さんは、これに続いて暦年ではなく学年ごとに輪切りにするとことで
考えてみるといって、次につなげています。(当方は昭和26年早生まれであり
ますが、当方の学年は高校卒業の時に東京大学入試が中止となったという
とても珍しい年でした。このことによって、26年おそ生まれと差別化したいと
思うのであります。もちろん庄司薫さんの小説主人公と同じ学年)
「この学年は独特のコースを歩んできている、と以前から私は感じていた。その
一つは戦争末期、昭和19年の8月から翌20年3月まで、国民学校6年生とし
て『学童疎開』をしていることである(戦争末期のころ、小学校は国民学校と
改称されていた)。
次に、昭和7年生まれの世代にふりかかった特異な時運は、戦後の大幅な
学校制度改革に際して、旧制と新制とが手洗いぎざぎざの断面を残したまま
無理やり断ち割られたあと、ぎざぎざのまま乱暴に接合し直されたのをすぐ
眼の前に見てしまったことである。それをみながら、彼と彼の学年は直接的被害
を蒙ることなく、ほぼ百パーセント新制の学校コースを歩んでゆくこととなった
最初の学年に他ならなかった。」
このように書いた後、黒井千次さんの作家イメージは「新制のトップランナー」
というのですが、これは今ではほとんど理解できないことになりますね。
高橋さんのように旧制の中学から高校を卒業して帝国大学を卒業した人か
らすると、たった二学年しか下でないのに、黒井さんの経歴というのは、違った
世界で過ごした人のように思えたのでしょう。