昨日に届いた「ちくま」7月号を手にしています。昨日も、これから話題を
いただいていますが、この号で最初に目にしたのは、「編集室から」という
後記でありまして、ここには、次のようにありました。
「沖縄と本土の間には境界線があるのではなく、ただ水平線があって、声も
行動も水平線の先で消え失せてしまうという構図がこの二年の間でも何も
変わらず、よりひどくなっていることをひしひし感じさせられて、胸が痛くなり
ますが、『虐殺を記憶し、闘争し、最後まで別れを拒否する』(ハン・ガン)人々
たらんと、ここからでも始めるほかないのだと思った次第です。」
ちょうど、当方がいま読んでいるハン・ガンの「別れを告げない」にちなむ
文章でありまして、これはすこしピッチをあげなくてはいけないことです。
「別れを告げない」は、「百年の孤独」文庫版を手にする前には読了する
予定でいたのですが、あとすこし時間がかかるようです。
沖縄と済州島といえば、「別れを告げない」では、どちらも「孤立の島」といわ
れています。こういうくくりがあったのかと思うことであります。
この二つの「孤立の島」から渡ってきた人々のコミュニティがあるのが大阪で
ありまして、大阪はそこの人々には希望の街であったのだなと感じることです。
大阪の家族が通っている小学校では運動会のだしもので、沖縄のエイサーに
ちなんだ踊りをやるのでありますが、これは大阪と沖縄には深いつながりがある
ことによってと説明されるようです。(そういえば、相撲の宇良関も沖縄から渡って
きた二世でありました。宇良という沖縄に由来する本名をしこ名にしているのは
沖縄を意識してのことでしょうか。)
それと比べると、朝鮮半島と大阪のつながりについて学習したという話は聞こ
えてこないのでありますが、そういう機会はないのかな。
「ちくま」7月号では、作家角田光代さんが「韓国ドラマ沼にハマってみたら」で
「韓国映画から見る、激動の韓国近現代史 歴史のダイナミズム、その光と影」
という本を紹介しています。この本を大絶賛でありまして、「対北朝鮮政策の変化
によって、映像作品の内容もまた変わる、という指摘」が目からうろこであたっと
ありました。
多くの問題を抱えながらも、韓国の磁場の力の強いことです。

