なんとか予定とおりで

 本日は朝から「マルクスに凭れて六十年」を読んでおりました。合間に

すこしトレーニングにでかけ、庭仕事などもちょっとであります。

そんなことで、ちょっと集中してではなかったのですが、夕刻にはこの本の

最後のページにたどりつくことにです。

 この本の刊行は1983年でありまして、この本が世に出たのを見届けて

著者の岡崎さんは奥様と一緒に姿を消すのでありますが、もちろん、この

時代の読者は、そのことを知らずであります。

 その昔の図書館本(この図書館だけなのかな)には、新聞書評が貼り付け

られていて、この本を山田宗睦さんが評したものがありました。(どこの新聞で

ありましょう。)

 当方はマルクスの翻訳書は読んだことがありませんでしたので、岡崎次郎

さんという名前にはなじみがありませんでした。たぶん、83年当時であっても、

熱心にマルクス文献を読まれている人以外で知る人は多くはなかったので

ないのかな。

 そんなこともありまして、山田宗睦さんの書評は、岡崎さんの紹介からはいり

ます。(貼り付けられている書評から引用です。)

「戦後にマルクスを学んだ私たちにとって、岡崎次郎という人は、いくらか不思議

な存在だった。なぜならこの人は、大内兵衛ら労農派とくに向坂逸郎との関係が

深いのに、『マルクスエンゲルス全集』『資本論』『剰余価値学説史』などの

翻訳を、共産党系の大月書店などから出していたからである。

 このごろの読者のために解説をいれると、昭和初年に日本のマルクス主義

二分して、労農派と講座派の二大グループになった。戦後、講座派は共産党

労農派は社会党とくに社会主義協会となったのは、その歴史からくる。

それで岡崎という人のあり方が、いくらか不思議だ、というのである。」

 このごろの読者というのは1983年頃でありますので、すでに四十年くらい前に

は、講座派、労農派というのは説明が必要になっていたのでありますね。

まして、現在であれば、どこまで説明が必要であることかです。

 岡崎さんは流れとしては労農派に近いところにいたのですが、そのグループ

のドンであるところの向坂さんと翻訳の役割分担のことなどで行き違いになると

いうのが、この本を読みどころの一つですが、これが向坂逸郎の存命中に書かれ

ているというところに意義があるようです。

 この本のまえがきには、次のようにありです。

「この本は法政大学出版局から発行されることになっていた。再校の段階まで

きてから出版局は法政大学並びにその教職員や学生を侮辱する文句を書き直せ

と言ってきた。私は侮辱しているとは思わなかったのでそれに応じなかった。話は

物別れになり、出版作業は中止された。」

 これの元版は、結局青土社からでることになり、それから40年ほど経過して、

航思社から増補して復刊し、新たな読者を獲得したことになりです。

 それにしても、その後の岡崎さんのことを思うと、この本を書きあげたときには、

無敵な状態でありまして、もともとの性格もあって、怖いものなしであったので

ありましょう。 

 向坂さんを尊敬する人たちからは、とんでもない男ということになるのでありま

しょう。