谷崎潤一郎の「途上」

 先日に何かのどこかに谷崎潤一郎の「途上」に言及しているものがあって、

それが誰によるものであったのか、さっぱり思いだすことが出来ずです。

 そうはいっても、せいぜいがここ一週間くらいのことでありますし、ここの

ところ手にしているといえば、絲山秋子さん、赤染晶子さんと北村薫さんくら

いでありまして、赤染さんはありそうもなく、絲山さんでもなかったというこ

とになると、やはり北村薫さんのどこかでありますか。

 ということで、ここから北村さんが「谷崎の『途上』」に言及している文章

を探すことにです。いつもであれば、本が紹介されてるものを読みますと、

その本を持っているのに出てこないぞとなるのですが、今回は中公新書版の

谷崎全集のおかげで、「途上」はすぐに読むことができたのですが、北村さん

の文章のどこにあったのかわからないのです。

 最近に北村さんの文庫本を安価で何冊か購入したり、「本の雑誌」とか「波」

にも北村さんの文章があったからなであります。

 ということで、あれこれと机のまわりにおかれている本などの手をのばして

みることになりました。

 この「途上」がでてきた北村さんの文章には、「虚無への供物」への言及も

ありましたです。そう思っていたら、文庫本で巻末に書名索引がつけられてい

るものがありまして、それを見てみましたら、そこに「途上」谷崎潤一郎とあ

りました。えらいぞ、中公文庫(と記しましたのに、リンクは創元推理文庫

ありました)。

 この「謎物語」の「解釈について」という文章で、ミステリを読んで、違っ

た解釈が成立するかどうかを、「途上」についての有吉玉青さんの読みを紹介

して、説明をすることになります。

「『途上』について、こういう解釈をした人は、まずいないだろう。少なく

ともミステリファンにはいない。・・・

 しかし誤解しないでいただきたい。わたしはここで、有吉さんが<間違っ

ている>というのではない。だったらこんな文章を書いたりはしない。

逆である。有吉さんの読みも、また、そう解釈する感性も実に魅力的なのだ。

感嘆しているのである。これは、読む、という行為が即ち創造であることの

好例ではないだろうか。」

 文中では有吉さんの読みについても紹介されているのですが、それは普通

のミステリファンの読みとは違うとあって、それじゃ当方が「途上」を読ん

で見たら、どういう印象を抱くかということで、新書版全集をひっぱりだし

てきて、読んでみたのですが、結果は凡人読みでありました。