女縁まんだら 2

 瀬戸内さんが記している「谷崎の許に弟子入りし、谷崎夫人千代と恋愛関係となった
小説家志望の和田六郎」は、その後どうなったかであります。
 これについては、次のようにあります。
「その後、六郎は佐藤春夫に私淑して、千代と春夫の家庭を家族づれで訪れ、親類の
ように扱われている。春夫の推挙で世に出た六郎は、大坪砂男ペンネームで、ある
時期、鬼才、天才の名を得た推理小説の作家になっていた。」
 なんとまあ、大谷崎佐藤春夫の妻譲渡事件の登場人物に大坪砂男さんがいたとは
知りませんでした。
 これを見ると、創元推理文庫版 大坪砂男全集で、このことを確認してみたくなり
ます。残念ながら、この全集には、年譜がついておりません。各巻で充実している解説
文などが参考になることです。
 大坪砂男全集第二巻の帯には「佐藤春夫の弟子にして都筑道夫の師」とあるのです
が、大坪の弟子である都筑道夫さんが書いたものが収録されています。
 都筑さんの「サンドマンは生きている」からの引用であります。(この文章は国書
刊行会からでた大坪砂男傑作選「天狗」の巻末解説とあります。この本はブックオフ
購入した記憶があり、その時にこの文章を眼にしていてはずですが、まったく覚えて
おりませんでした。)

「大正15年に卒業(東京薬学専門学校を)すると間もなく、関西に遊びにいって、神戸
郊外岡本にいた谷崎潤一郎のところに、大坪氏の言葉でいえば、『居候をきめこんだ』。
文学修行をする気ではなく、大正13年の夏休みに、有馬温泉で潤一郎はじめ谷崎家の
人びとと、仲よくなった縁によるものだった。この居候には複雑な背景があって、話題
になった潤一郎と佐藤春夫のあいだの、いわゆる『細君譲渡事件』に、緩衝材をつとめ
ていたことが、いまは末弟、谷崎終平の著書などで、あきらかにされている。当時の
潤一郎自身をえがいた、といわれる長編小説『蓼食う虫』に、主人公の夫人の恋人と
して、阿曽という人物がでてくるが、それが大坪氏なのだった。」
 「蓼食う虫」の阿曽という人物がそうでありましたか。