入廁読書

 先月に谷崎潤一郎の「きのふけふ」を読んだ時に、周作人のことを話題にしまし

たが、谷崎に導かれて「周作人随筆」を読んでみることとしました。

 二十年ほど前にでた本をネットで確保であります。

周作人随筆 (冨山房百科文庫)

周作人随筆 (冨山房百科文庫)

 

 なかなか読む時間がとれないのですが、短い随筆でありますので、朝の廁時間に

持ち込んで良いのではと思いつき、本日それを実行しました。本日に読んでみたのは

谷崎と永井荷風の随筆を話題とした「冬の蝿」は5ページほどのものですから、心静

かな時間を過ごすには、ちょうどよろしでありました。

 そう思っていましたら「周作人随筆」のなかに「入廁読書」という、そのものずば

りの文章がありました。 

「人が厠にゆく時間は本来一定しがたいが、とにかく非常に短いということはなく、

そして飯を食うのとちがって、時間がどんなに短いとしても、やはり空費のように思

われるから、なんとかしてこれを利用する方法を考えることになる。」

 ということから、「私は厠で本を読むことには大賛成だ」ということになります。

 この文章には、谷崎の「陰翳礼賛」から日本の厠のすぐれた点を述べたくだりの

引用があるのですが、谷崎には「厠のいろいろ」というのがありまして、谷崎にとっ

ての理想の厠が論じられています。残念なこと、谷崎は厠での読書を話題にはしてい

ないのでありますが。

 周作人さんの「入廁読書」の最後のくだりは、次のようになりです。

「かりに清潔な廁があったとすれば、厠に上がったとき本のすこしも読むのはやは

りよろしいが、しかし文章を案ずるのはどうかと思う。書物といってもべつに経・

史・子・集を区別する要はない。何でも随意に見ればいいのだ。私のきまりとして

は、善本や難解な本は持っていかない。私の経験によれば、随筆類を見るのが一等

よく、最もいけないのは小説である。」

 当方の経験でも厠での読書に一番適しているのは、短いコラムであろうと思うの

でありました。