桁はずれかな

 谷崎潤一郎の「痴人の愛」を読んでおりました。
 それにしても谷崎という小説家がいて良かったなとつくづく思うことです。人間で
あれば誰しも、一度は自分は変態かなと思うことがあるでしょうが、谷崎の小説を読
めば、誰しも自分が特別でないことにほっとすることです。
 あの文豪といわれる谷崎がこんなふうに小説に書いているのであれば、これはあり
なのだなと。近年になって谷崎の私生活のことや、書簡が公開されて、谷崎が現実の
生活においても、作中人物に重なるところがあることがわかり、本当に不思議な人で
す。
 この作品が書かれたのは90年も前のことになるのですから驚くしかないですね。
同時代にこの作品はどのように受け入れたでしょうか、これの前半が新聞に発表され
たというのも進んだ時代でありました。
 新書版全集は巻末に伊藤整の解説があり、新潮文庫には磯田光一による「人と文学」
野口武彦の「『痴人の愛』について」という文章が添えられています。
 新潮文庫版には「注解」がつけられているのですが、若い読者には必要なのかな。
 たとえば、次のようなところ。
「今では事実、誰も真面目でナオミさんを相手にする者はありやしないんです。熊谷
なんぞに言はせると、まるでみんなが慰み物にしてゐるんで、とても口に出来ない
やうなヒドイ仇名さへ附いてゐるんです。あなたは今まで、知らない間にどれほど恥
を掻かされてゐるか分かりやしません。」
 この四行で、注解がついているのは、「とても口に出来ないやうなヒドイ仇名」と
いうところです。さて、これに注をつけるとしましたら、どういうものになるでしょ
う。ヒドイ仇名については恐らくこういうものだろうと書かれていますが、90年前
からそういう言い方はあったのかな。